【初心者歓迎】俳句フォトの会 会員申込はこちら

俳句フォトエッセイ

俳句フォトエッセイ

土井伸の運を呼び込む歌留多かな

感泣亭歌留多第ニ弾として「土井さんの達筆神経衰弱」が売り出された。ぼくと土井さんとの関係について話してみよう。八名川小学校で子ども俳句に取り組み始めた頃、保護者にも俳句を広めたいと思った。そして始まったのが「八名川句会」だ。この句会、今も続いている。ある時、メンバーの一人であったOさんが、新メンバーを連れてきた。それが土井さんだった。その時は、土井さんは学校の近くで書道教室を開き、Oさんはその生徒だった。土井さんは生徒だったOさんの誘いを断れなかったのかもしれない。土井さんはしばらくの間、八名川句会に参加されていたが、そのうち姿が見えなくなった。上野の方でギャラリーを始められたと聞いた。

俳句フォトエッセイ

冬温しさらばよこすげ小学校

この日は、こすげ小学校で先生方の俳句の研修会を行った。各学級で俳句の授業をしているが、「なぜそうするのか」が分かると理解がグッと深まる。ある程度理屈が必要なのだ。楽しい研修会になった。授業形式で先生方を子どもに見立て、俳句だけでなく授業技術についても触れる。子どもの話を聞く時の教師の立ち位置とか、子どもとの距離の取り方とか、ところどころに織り込む。あっという間の二時間だった。この研修会でぼくのこすげ小学校での仕事は全て終了した。感慨深い。記念に帰りに正面玄関で写真を撮ってもらった。ぼくの右側にあるのは、欅のモニュメントである。

俳句フォトエッセイ

歳晩の待合室の人の数

不覚にも腰を痛めた。痛めたというより、勝手に痛くなってしまった。最初は僅かな違和感だけだったが日を追うごとに痛みが強くなった。その感じが、三年前の坐骨神経痛に似ている。その時は、整体に通って治した。しかし、二回目だ。「大きな病院でちゃんと診てもらったほうがよい」という助言に従い、近くの関東労災病院に行くことにした。関東労災はスポーツ整体で有名な病院だ。電話したら「紹介状がないと受け付けない」と言う。粘ったが、埒があかない。整形外科に行って、紹介状をもらえと言うわけだ。でも、それって少し失礼ではないか。オタクの病院は信頼できないからと言っているようなものだ。

俳句フォトエッセイ

いろは紅葉水面に浮かべクリスマス

さて、クリスマスイブである。いつからこんなに日本にクリスマスが入りこんだのだろうか。一説によれば、銀座明治座でのクリスマス商戦がその始まりだと言われる。確かにクリスマスはキリスト教の行事だが、バレンタインデーやハロウィンのように、宗教より商売と深く結びついている。今日もケーキ屋の前には長い列ができていた。ぼく自身、初めてケーキというものを食べたのは、クリスマスだったような気がする。クリスマスケーキが日本で初めて販売されたのは1910年のこと。時代はまだ明治だから、歴史は長いとも言えよう。

俳句フォトエッセイ

決着の烏鷺の戦い大晦日

「烏鷺の戦い」とは、囲碁のことである。烏の黒と鷺の白が碁石の黒と白というわけだ。ぼくの趣味は、その囲碁である。写真は、新橋駅前のニュー新橋ビルだ。一階には金券ショップが並び、オムライスが有名でいつも行列ができているむさしやがある。二階には、怪しげなマッサージ店や麻雀屋、三階より上はいつもシャッターが降りている店も多い。東京囲碁会館は、このビルの四階にある。大げさな名前だが、老齢のご夫婦が席亭を務める碁盤二十面ほどの小さな碁会所である。ポン友のMと毎月一回ぼくはここで会い、碁を打つ。大抵彼が先に来て待っている。いったい何年ぐらいになるのだろう。最初は、錦糸町だった。

俳句フォトエッセイ

黒々と冬を呑みこみ隅田川

向こうに見えるのは清洲橋である。清洲橋はケルンのヒンデンブルク大橋を模したと言われている。当時の最高級の軍事用の鉄を初めて用いたと橋である。ライトアップされると見事だ。写真を撮影している場所は新大橋。江戸時代、芭蕉の生きた時代にできた橋だが、両国橋が「大橋」と呼ばれたのに対して「新大橋」と呼ばれた。芭蕉は、新大橋について次の句を残している。「初雪やかけかかりたる橋の上」「ありがたやいただいて踏むはしの霜」新大橋と清洲橋の間に芭蕉庵はあった。現在はその近くに芭蕉記念館が建てられ、芭蕉展望史跡公園がある。公園の芭蕉像が動くのは有名な話だ。夜になると隅田川に顔をむけ、ライトアップされるのだ。

俳句フォトエッセイ

冬ぬくし心豊かにこすげの子

葛飾区立こすげ小学校である。実に気持ちが良い六年生だった。この時期の六年の学級経営はなかなかに難しい。一気に心が大人になり、思春期独特の不安定さが現れてくる。そこに受験という重圧が重なる子もいる。自分のことだけで精一杯になるのが普通だ。それを乗り越えさせるには学校や担任の先生の巧みな指導力が欠かせない。若い先生だったが、実にこどもたちとの関係が自然で無理がない。こどもたちの気分を上手に掴んでいる。大したものだと舌を巻いた。僕の立場は、外部からの一瞬の闖入者である。こういう素敵な学級に混ぜて貰えば指導していても楽しい。六年生が素敵だということは学校がうまく回ってるということだ。

俳句フォトエッセイ

歳晩やディープな街の奥の奥

「よく色々なところに行っていますね」と言われる。確かに、そう言われればそうかもしれない。先週から今週にかけて、芭蕉記念館にも行ったし、現代俳句協会の事務所にも行った。更に三日間も出張俳句教室に出かけた。今日は、葛飾区の立石である。区役所の前にある葛飾区のナンバースクールと呼ばれるような学校を訪問した。ぼくが葛飾区に勤務していた頃、この学校の校長は向山行雄だった。彼は、教育法則化運動で一躍有名になった向山洋一の弟である。飛び抜けて頭の回転が早い切れ者だった。その後中央区銀座にある泰明小学校の校長になり、全国連合小学校長会の会長も務めた。

俳句フォトエッセイ

レジェンドのプリンで乾杯クリスマス

こんな素敵なパーティーができるとは夢にも思っていなかった。きっかけは、感泣亭の定例会「あなたを語る会」で斉藤さんのお話を伺ったことからだった。斉藤さんは、実は日吉の伝説のバームクーヘンの名店「リンデンバウム」の創業者である。「何かやってくれませんか」という話になった。「プリンならオーブンがあればできるかなぁ」そうして実現したのが、「プリンを楽しむ会感泣亭クリスマス」である。乾杯をする時、斉藤さんがさりげなく私と妻の写真をテーブルの真ん中に置いてくれて、ぼくは涙が出た。感泣亭という名前は、詩人・小山正孝の書斎の名だが、コミュニティスペースとしての感泣亭を構想し、始めたのはぼくの妻邦子である。

俳句フォトエッセイ

商魂の火花を散らす師走かな

お馴染みの風景、上野のアメ横である。「アメ横」の由来は、アメリカものジーンズなどを売る店が多いから、ではない。戦後の闇市で「飴」を売る店が多かったことに由来する。ガード下には小物や宝石らしきものを売る店が迷路のように並んでいる。外に出れば、海産品や衣料品、菓子屋など雑多な店が入り乱れている。400メートルの中に400軒がひしめき合っている。年末の光景はテレビでも見慣れている。年末の一つの風物詩だ。まだ年末まで日があるせいか、客はそれほどでもない。外国人の姿が目につく。墨田区に住んでいた頃、上野はよく歩いた。お花見の時期は必ず上野公園に行った。