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俳句フォトエッセイ

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跳ね上げてこの夏一の湯もみかな

草津温泉である。学校に勤めていた頃、職員旅行というものがあった。半ドンの土曜日の午後出発し、日曜日に帰ってくる。毎月積立をして、行きたくても行きたくなくても行く職場の「親睦」旅行だ。行き先は、熱海や伊東、湯河原など伊豆箱根方面が多かった。新幹線があり、東京から一時間程度で到着する便の良さが受けた。用事があって、一緒の列車に乗れなくてもすぐ後から追いかけられるし、次の日用があれば早めに帰京できる。しかし、毎年伊豆箱根だと飽きる。そこで、日光や山梨の石和温泉、群馬の伊香保温泉などを挟むことになる。草津も行ったはずだと思っていたのに、草津温泉の中心にある「湯畑」を見ても、記憶が蘇らない。

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広島忌ここにもひとつ紅き花

今日は八月六日。広島に原爆が落とされた日だ。俳句ではこの日を「広島忌」(原爆忌)と呼ぶ。朝の広島の記念式典をテレビで少しだけ観た。広島県の湯崎英彦知事の演説に感銘を受けた。湯崎氏は、通産省の官僚出身というが、官僚の中にも立派な人がいる。知事はいわゆる「核抑止論」を批判した上で、核兵器に投入される資源について「昨年だけでも14兆円を超える資金が投資され、何万人ものコンサルタントや軍・行政関係者、また、科学者と技術者が投入されています」と指摘。その10分の1にあたる1.4兆円や数千人の専門家を投入すれば、「核廃絶も具体的に大きく前進するでしょう」と述べた。その通りだと思った。

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街かわり人のかわれど星祭

用が出来て、渋谷に出かけた。日が落ちて幾分気温が下がったような気がする。センター街は、人で満ちていた。みんな若い。仙台で見るような七夕飾りが垂れている。昔もそうだった。いつの時代もこの場所は、若い人で満ちていた。外国人が増えた以外、何の変わりもない。僕らの世代が、僕らの弟や妹の世代になり、そのうち子どもの世代に、今は孫のような世代になっただけだ。店も変わっているのだろうが、定かにはわからない。スペイン坂を過ぎて、東急ハンズが見えてくると幾分ホッとする。ここは知っている場所だ。この近くに「壁の穴」というスパゲッティ屋があった。穴蔵みたいな店だった。

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紅き花あらばほぼほぼ百日紅

久しぶりに田園調布のお気に入りのcafeで午後を過ごした。天気予報では夕立はないとのことだったので、多摩川(東急線の駅)まで歩くことにした。外に出ると意外と涼しい。これなら「夜の秋」と言っても差し支えなさそうだ。銀杏並木を蓬莱公園に向かって歩く。田園調布は、都内でも屈指の高級住宅街だ。すれ違う人もほとんどいない。高い塀で囲まれた家、広大な庭の向こうから仄かな灯りが漏れる家。かの長嶋茂雄の家もこの近くにあるらしい。ここに住んで固定資産税を払い続けるのは無理だろうが、歩き回るだけならタダだ。緑が多いが、その中に時折、赤い花が見える。百日紅(さるすべり)だ。

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屯(たむろ)して塀の外から盆踊

我ながら、この写真はいい写真だと思う。(笑)地域社会と若者(少年少女)との関係がよく映し出されていいるからだ。盆踊の会場。たくさんの提灯が吊られ、真ん中に櫓が組まれ、太鼓が叩かれる。踊り手がその周りを巡る。多くは、町会婦人部→今は女性部というのかもしれない。来賓席には、町会役員や地域の名士が並ぶ。屋台が出され、子供たちの姿も多い。浴衣姿をお披露目する絶好の場だ。大きくなると盆踊など興味の外になる。出かけるなら、渋谷か新宿の方がいい。しかし、中には盆踊に現れる若者もいる。彼らの目的は無論盆踊ではない。

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炎天をご破算にして大夕立

猛暑が続いている。これだけ猛暑が続けば、その反動として夕立があるのは、昔からだ。それにしても、ニュースで見ると凄まじい。各地で洪水に近い状況が起きているようだ。昔のように入道雲がにょきにょきと盛り上がり、ざっと一雨。雨が上がると虹が見えるというような牧歌的な夕立ではないようだ。気候変動の影響に違いない。どうもこの状況だと「夕立」というような優雅な言葉を使っていいのか、という気にもなってくる。言葉は各民族の生活と深く結びついている。例えば、牛に関する言葉。日本語では、「牛」しかないが、英語では、cowもoxもbolもある。牛肉に関しては、各部位が詳しく分かれているのは承知のことだ。

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阿部詩の号泣パリの熱い夏

会場に響き渡るような声で泣き叫んでいる阿部詩の映像を見た瞬間の印象は、「みっともない」である。詩に見えているのは、自分と自分の感情だけだ。周りへの配慮が何もない。詩が退場するまで、次の試合はストップされ、控えている選手は入り口で待たされている。詩の行為はわがまま極まりない。柔道とは「道」である。負けた時の潔さこそ、「道」の教える一番のことだったのではないか。しかし、そんなことは詩は百も承知であろう。にも関わらず詩は泣いた。阿部詩をここまで追い込んだものは何か。絶対に勝たなければならない。期待に応えなければならない。猛烈なプレッシャーにさられたことは、容易に想像できる。

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夜の秋『ゆうすげびとの歌』を読む

よく見ると、この絵の下に小さく「紅子」と署名がある。深沢紅子である。昭和56年に刊行された異装版『ゆうすげびとの歌』のカバーの裏表紙に置かれたゆうすげの絵だ。深沢紅子は野の花を描く画家だ。立原との縁も深い。深川紅子野の花美術館が軽井沢にも盛岡にもある。立原道造の『萱草に寄す』は楽譜のように大きな本だが、この『ゆうすげびとの歌』はB5版ほどの大きさ。「のちのおもひに」を含む5篇の詩だけで編まれた、ただ一冊の手作りの詩集である。長いこと、人目に触れず立原家の箪笥の奥に眠っていた。いかにもひっそりした美しい詩集である。先頭の詩は以下である。

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炎天を立原道造てふ魔物

7月の終わりの土曜日、地下鉄都営新宿線の馬喰横山の駅で降りた。中央区東日本橋3-9-2にあるトラットリアリンシエメに行くためである。ここである催しが行われた。立原道造生誕110年記念ランチ会。主催は立原道造の会。実はこの場所に立原道造の生家があった。記念すべき場所で記念する年を祝おうというわけだ。集まったのは10数名だが、中には大阪から来られた人や福島から来られた方もおられた。多くの方が中学校か高校の教科書で立原と出会い、ファンになったと話された。普通の詩人の場合は「読者」だが、立原の場合は「ファン」なのだ。全集を手に入れたり、図書館で読んだり、立原が立ち寄った場所を追体験した方も多かった。

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「たまや!」てふ子どもの声や揚花火

ビルの上の花火は、隅田川花火の第二会場である。コロナ禍を経て、隅田川花火を見物するのは5年ぶりだ。10年ほど前に雷雨で途中中止になったことがあった。今年もヒヤヒヤしたが、どうやら切り抜けた。花火の進歩は著しい。今年は赤や緑の輝きが一段と増した印象が強かった。昔の花火は一色が普通だった。それが多色になった。しかも途中で色が変わる花火や飛び方が変わる花火が現れた。半分緑で半分は赤なんていうものもある。土星のように輪を持つ花火、楕円形からニコちゃんマーク。今の花火は何でもござれだ!その上、コンピュータ制御で連射連発。1時間半で2万発とか3万発というのだからすごい。各地の花火大会が盛況なわけだ。