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俳句フォトエッセイ

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風薫る感泣亭の談話室

今日から六月であるが、また一つスペース感泣亭に新しい企画が加わった。題して「感泣亭おしゃべり会『あなたを語る会』」である。「あなた語る人、私聞く人」ではなく、誰にでも語るべきものがあるというのが、コンセプトだ。第一回目のゲストは、今宮清明さん。長年川崎で特別支援教育に携わってきた方である。現在でも教育に関わるお仕事をされている。その今宮さんが提案して下さったのが、なんと「香道」。源氏香という江戸時代から続く遊びである。簡単に言えば、五種類の香りを聞いて(香道では、匂いをかぐことを「聞く」というらしい)同じか違うかを当てるゲームである。

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大南風今や時代は伊藤野枝

久しぶりの紀伊國屋ホールだった。青年座の「ケンツブロウヨー伊藤野枝ただいま帰省中ー」を観た。昨年観た宮本研の「美しきものの伝説」も伊藤野枝の話だった。伊藤野枝は平塚雷鳥の青鞜社を手伝うことから社会運動家に成長した。雷鳥から青鞜社を受け継いだ野枝は「無主義、無規則、無方針」をモットーに雑誌を一般女性に開放した。私生活では親の決めた婚約を破棄して結婚した辻潤と離婚し、妻や愛人のいた大杉栄を巡っての四角関係にのめり込んだ。28歳で野枝は大杉榮と共に関東大震災後甘粕事件で憲兵に虐殺された。舞台は野枝の福岡の実家に帰省中の野枝にだけ限定し、野枝を描くやり方は独特だった。第一場は野枝の出奔する場面。

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夏めける深川ご利益通りかな

深川といえば、まず頭に浮かぶのは富岡八幡宮である。境内には、伊能忠敬の像や歴代の横綱の名を彫った力士碑がある。富岡八幡の祭りは江戸三大祭りの一つとされる。域内五十三基以上の神輿が練り歩く「神輿連合渡御」には多くの観光客も集まる。次に有名なのが深川不動堂だろう。地下鉄門前仲町の木場側出口の階段を登ると、和菓子で有名な深川伊勢屋の前に出る。ここから深川不動までの参道が「人情深川ご利益通り」である。わずか百五十メートルほどの商店街だが、面白い店がたくさんある。和菓子の「梅花亭」。この店からどら焼きが誕生したと言う。「日本一堅いせんべい」と書かれた看板の店の名前は「其角」である。

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梅雨近し時には源泉かけ流し

多摩市の学校に俳句の授業に出かけた。午前中で終ったので、思い立って帰宅の途中に南武線の溝の口で降りた。影向寺(ようごうじ)に行ってみたいと思ったからだ。影向寺は奈良時代に僧行基によって開かれたと伝えられている。本尊の薬師如来両脇侍像は国の重要文化財の指定を受けている。私が影向寺について知ったのは、写真家小池汪の写真集『影向寺』においてだった。写真集は1983年に出版社花林から出ている。仏像の写真が素晴らしい。小池汪は川崎を代表する写真家の一人である。歌人馬場あきこが監修した『川崎地名百人一首』に登場する百枚の写真は全て小池汪によるものである。どの写真も眼をみはる。

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額縁の中に椎の木椎の花

二日目の吟行の場所は、吉川英治記念館だった。吉川英治は、昭和の大作家だ。『宮本武蔵』や『新平家物語』を始め数々の長編小説をものにした。1962年に71歳で亡くなった。青梅市に吉川英治の記念館があるのは、戦時中、当地の地主だった野村家を譲り受け、住居にしたことに依る。大豪邸の庭の真ん中に樹齢500年とも600年とも言われる大きな椎の木があり、英治はこれが好きで客があると椎の木の下で遇したそうだ。記念館を作る際に、そのことから、眼前の椎の木が窓の額縁の中に収まるような設計にした。とは、ガイドの話である。熱弁をふるうガイドの話を聞きながら、僕は別のことを考えていた。

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紋様を重ね重ねて夏の川

所属する俳句結社の宿泊吟行会で、青梅に来ている。この数年は、コロナの影響で中止されていたこともあるが、俳句を始めてから結社の宿泊の吟行会に参加するのは初めての経験である。盆の淵公園という素敵な公園があり、その周囲を散策した。キャンプ場があり、河原では子どもたちが水遊びをしている。気が付けば深みにはまる水遊び吟行だから俳句を作らなければならない。気づいたことを適当にスマホのアプリにメモをしていく。スマホを使うのは、自分が整理整頓が苦手だからだ。紙に書いておくと失くすし、ノートでもそのうちどっかにいってしまう。その点、スマホはいい。記録してくれてなくならない。

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真剣な眼差し浴びる薄暑かな

中央に立っているピンクのシャツの男は僕である。江東区立第二辰巳小学校(二辰小)の先生方の俳句研修会に招かれた。二辰小は昨年度開校五十周年を迎えたが、僕は十周年の時にこの学校に在籍していた。考えると、その時から四十年だ。校舎は当時のままである。コンクリートの打ちっぱなし。南北に長い廊下が通り、その両脇に教室が配置されている。デザイナーズ校舎のような斬新な作りであるが、使いにくさもあった。教室の両面がガラス窓なので、掲示物を張る場所が少ない。教室が一つ一つ独立しているので連携が難しかった。今はメトロ有楽町線が通り、駅前の学校になっているが、当時はバスしか交通機関がなかった。

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忽ちに沸き立つ如く四葩かな

四葩(よひら)というのは、紫陽花の異名である。紫陽花には異名が多くある。手鞠花、額の花、七変化、八仙花、オタクサ等。濃紫陽花という言い方もある。最近では額紫陽花の変種で、ダンスパーティとか、隅田の花火と呼ばれる新しい品種も見かける。紫陽花の原産地は日本で元々は額紫陽花だったようだ。それをシーボルトがドイツに持ち帰り、生まれたのが手鞠のような西洋紫陽花である。紫陽花と言えば、鎌倉の明月院が有名である。観光客が列をなす。寺全体が紫陽花には囲まれて、うっとりするほどだ。同じく長谷寺の紫陽花も有名である。入口にてらやカフェという喫茶店があり、そこで飲むコーヒーは味わいがある。

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聖母月ニコライ堂の見ゆる橋

僕の父・小山正孝と母・常子は、戦前の日本出版会で出会った。1944年のことである。初めてのデートの約束は、お茶の水の聖橋だった。この時、常子には、当時お見合いをした婚約者がいた。しかも挙式を2週間後に控えていた。(この事情を母は、92歳になって「丸火鉢」という小説に書いている)戦時色とは凡そ掛け離れた空色のドレスとハイヒールを履いて、常子は聖橋をニコライ堂のドームに向かって歩いて行く。正孝は、ドームを背に歩いてくる。橋の中央で二人は出会い、目を合わせて手を差しのべる。常子は、この時のことを「主人は留守、しかし・・・」というエッセイに「聖橋のデートの模様は出来すぎである。

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灯の涼し持つべきものは友である

暑い日だった。もう完全に夏だ。待ち合わせ場所は、品川のつばめグリルである。店の名前は特急つばめに拠る。特急「燕」が誕生したのは1930年のこと。東京・神戸間を9時間で結び、2時間20分も短縮した。つばめグリルは、その特急「燕」と同じ年に新橋に生まれた。現在は、各地に店舗を展開しているので、皆様ご存知。品川店は、現在の基幹店である。写真の三人は、左がアイデアマラソンの樋口健夫氏。真ん中は私小山正見。右はT氏としておく。写真を見ると、二人のおいぼれを引き立て役にT氏の若さが輝いているようだ。そのT氏がこの4月に校長に昇進したので、そのお祝いという意味合いの会だった。