俳句フォトエッセイ2026.06.13初夏の狗尾草の毛の気配小山正見数年前までは、農地だった土地だ。今は、すっかり放置されている。毎週ぼくはここを通るが、見ると狗尾草が繁茂している。狗尾草は、秋の季語だ。しかし、秋になって生えてくるというわけではないのだ。狗尾草は、俳句授業の良い教材である。形が面白いし、揺れる。遊び道具にもなる。しかも身近にあり、親しみやすい。薔薇の花を授業に持ち込むには、お金がかかるが、狗尾草ならそこら中に生えている。道路端に生えている何本かを引き抜いても誰にも文句が言われない。もう穂を伸ばしているとは!かつて本で読んだことがある。人の目は出始めの頃のデジタルカメラぐらいの性能でしかない。見えない部分は、脳が補正して見えているように感じているだけだ、というのだ。「見たいものしか見えない」これまで、この時期にあるはずのない狗尾草は、あらかじめ視野から締め出されていたのだろう。狗尾草には、猫じゃらしという別名もある。いずれの名前も言い得て妙である。歴史は、途方もなく古い。狗尾草は、稲科の植物で粟の仲間だ。古代の人間は狗尾草系統の草の中から粒が大きくて食べやすいものを選んで長い時間をかけて「粟」を作っていったのだろう。そう言えば、狗尾草に雀が群がっている様子を見たことがある。雀たちの餌になっているのだろう。秋の狗尾草は、穂がすでに黄色くなっている。それが狗尾草だとばかり思っていたが、初夏の狗尾草は、違う。青く、みずみずしく勢いよく天に向かっている。青春そのもののようにも感じた。
数年前までは、農地だった土地だ。今は、すっかり放置されている。毎週ぼくはここを通るが、見ると狗尾草が繁茂している。狗尾草は、秋の季語だ。しかし、秋になって生えてくるというわけではないのだ。
狗尾草は、俳句授業の良い教材である。形が面白いし、揺れる。遊び道具にもなる。しかも身近にあり、親しみやすい。
薔薇の花を授業に持ち込むには、お金がかかるが、狗尾草ならそこら中に生えている。道路端に生えている何本かを引き抜いても誰にも文句が言われない。
もう穂を伸ばしているとは!
かつて本で読んだことがある。人の目は出始めの頃のデジタルカメラぐらいの性能でしかない。見えない部分は、脳が補正して見えているように感じているだけだ、というのだ。
「見たいものしか見えない」
これまで、この時期にあるはずのない狗尾草は、あらかじめ視野から締め出されていたのだろう。
狗尾草には、猫じゃらしという別名もある。いずれの名前も言い得て妙である。
歴史は、途方もなく古い。狗尾草は、稲科の植物で粟の仲間だ。古代の人間は狗尾草系統の草の中から粒が大きくて食べやすいものを選んで長い時間をかけて「粟」を作っていったのだろう。
そう言えば、狗尾草に雀が群がっている様子を見たことがある。雀たちの餌になっているのだろう。
秋の狗尾草は、穂がすでに黄色くなっている。それが狗尾草だとばかり思っていたが、初夏の狗尾草は、違う。青く、みずみずしく勢いよく天に向かっている。青春そのもののようにも感じた。