俳句フォトエッセイ2025.09.01夏シャツの裾を出さうか出すまいか小山正見何だか恥ずかしい写真で申し訳ない。この夏シャツのオレンジ色が好きだ。もう30年以上着ているのではないかと思う。よくもつものだ。最近はTシャツが多くなり、襟付きはたまにしか着ない。問題はこの裾をどうするかという話だ。Tシャツならまず外に出す。ワイシャツの裾は普通はズボンの中に入れるだろう。ワイシャツはフォーマルだからだ。襟付きのシャツはその中間形だから迷うのかもしれない。しかし、かつては必ず裾はしまったものだ。しまわないと「だらしがない」と叱られた。それが変わったのはいつ頃のことか。学校で問題になったのは子どもの体育着問題だった。体育の授業や運動会で裾をズボンの中に入れさせるのか、出したままでも良いのかという「論争」があった。その当時は「統一」の美学が幅を利かせていた時で、結局は、指導としては「体育着の裾は仕舞わせる」という結論になった。今はどうなっているのだろう。この論争の裏側にはフォーマルとインフォマルという問題と「肌が見えるのははしたない」という問題の二つがあったように思う。肌というのは臍のことだ。今の若い子はわざと臍を見せて歩く。時にはピアスまでして目立たせる。時代は変わるのだ。シャツの裾を出そうが出すまいか、そんな事どっちでもいいじゃないか、とならないのが老人の哀しさである。
何だか恥ずかしい写真で申し訳ない。この夏シャツのオレンジ色が好きだ。もう30年以上着ているのではないかと思う。よくもつものだ。
最近はTシャツが多くなり、襟付きはたまにしか着ない。
問題はこの裾をどうするかという話だ。Tシャツならまず外に出す。
ワイシャツの裾は普通はズボンの中に入れるだろう。ワイシャツはフォーマルだからだ。襟付きのシャツはその中間形だから迷うのかもしれない。
しかし、かつては必ず裾はしまったものだ。しまわないと
「だらしがない」
と叱られた。それが変わったのはいつ頃のことか。
学校で問題になったのは子どもの体育着問題だった。
体育の授業や運動会で裾をズボンの中に入れさせるのか、出したままでも良いのかという「論争」があった。
その当時は「統一」の美学が幅を利かせていた時で、結局は、指導としては「体育着の裾は仕舞わせる」という結論になった。
今はどうなっているのだろう。
この論争の裏側にはフォーマルとインフォマルという問題と「肌が見えるのははしたない」という問題の二つがあったように思う。肌というのは臍のことだ。
今の若い子はわざと臍を見せて歩く。時にはピアスまでして目立たせる。
時代は変わるのだ。
シャツの裾を出そうが出すまいか、そんな事どっちでもいいじゃないか、とならないのが老人の哀しさである。