俳句フォトエッセイ2026.06.19懐かしき友よりLINE梅雨の冷え小山正見月に一度の三郷の日である。認知症を抱える年配の方々と一緒に俳句を作る。思い出を語っていただきながら、一つの作品を編んでいく。ぼくにとっては、いちばん緊張し、頭の回転を要求される時間だ。いつもは三郷の駅前のドトールでモーニングをとる。だが今日は、新松戸で一度降りた。ドトールの冷房の寒さが、どうにも耐えられそうになかったからだ。駅前でモーニングのできそうな店を探す。カーディガンを羽織ってはきたが、外の風は冷たい。目に入ったのはマクドナルドだった。「寒かったらどうしよう」そう思いながら、仕方なく入る。店内は暖かかった。ほっとした。席に着いた、その途端だった。LINEの着信が鳴った。誰だろうと思って見ると、こすげ小学校時代に同じブロックでお世話になったY先生からだった。Y先生は算数の達人で、退職後は大学で教鞭を執られていた。今は退職校長会の支部長を務められている。そのLINEの中に、N先生の訃報があった。長く癌を患われていたという。N先生は、ぼくのいた小菅小学校の隣、小谷野小学校の校長先生だった。穏やかな笑顔が、すぐに目に浮かんだ。その小谷野小学校と小菅小学校が統合して、ひらがなの「こすげ小学校」が誕生したのである。そこに至るまで、何度も何度も協議を重ねた。いちばん難しかったのは、どうやってメンツを立てるか、ということだった。小菅小学校は小谷野小学校の二倍以上の規模があった。校舎も小菅小学校を使うことになっていた。実質は吸収合併に近い。だが、そう思わせない何かが必要だった。校歌も校章も新しくすることになった。つまり、「新しい学校を作る」という体裁である。なかでもいちばん揉めたのが、校名だった。「小菅」という名称のままでは、小谷野側からすれば到底受け入れがたいだろう。メンツを潰せば、あとあと響く。いろいろな校名を考えた。シンボルツリーの欅にちなんで「けやき小学校」も悪くないと思ったが、いざとなると、どこか取ってつけたような印象が拭えない。やはり地名には重みがある。「小菅小谷野小学校」はどうにも安易だ。そこへ、地元・小菅の自治会の間で、「小菅」のままで行くべきだという意見が強くなってきた。困った末に、苦肉の策として浮上したのが、ひらがなの「こすげ」案だった。とにかく名前が変わったということで小谷野側を納得させ、「こすげ」の名前を残したということで地元を納得させようという、なかなかの迷案である。最後は協議会の中で投票に委ねられた。結果、過半数を一票上回る票で校名は「こすげ」に決まった。「小菅」でいくと決めていた地元自治会の会長だったSさんが、「こすげ」に一票を投じたからである。おかげで統合は無事に進んだが、Sさんはその後もいろいろ言われたらしい。メンツを立てることも、捨てることも、なかなか大変である。ぼくはこの「こすげ小学校」で、俳人の齋藤二郎先生に出会い、荒井ハルエ先生に出会い、そして俳句と出会うことになる。永塚先生のご冥福を祈りたい。
月に一度の三郷の日である。認知症を抱える年配の方々と一緒に俳句を作る。思い出を語っていただきながら、一つの作品を編んでいく。ぼくにとっては、いちばん緊張し、頭の回転を要求される時間だ。
いつもは三郷の駅前のドトールでモーニングをとる。だが今日は、新松戸で一度降りた。ドトールの冷房の寒さが、どうにも耐えられそうになかったからだ。
駅前でモーニングのできそうな店を探す。カーディガンを羽織ってはきたが、外の風は冷たい。目に入ったのはマクドナルドだった。
「寒かったらどうしよう」
そう思いながら、仕方なく入る。店内は暖かかった。ほっとした。席に着いた、その途端だった。LINEの着信が鳴った。
誰だろうと思って見ると、こすげ小学校時代に同じブロックでお世話になったY先生からだった。Y先生は算数の達人で、退職後は大学で教鞭を執られていた。今は退職校長会の支部長を務められている。
そのLINEの中に、N先生の訃報があった。長く癌を患われていたという。N先生は、ぼくのいた小菅小学校の隣、小谷野小学校の校長先生だった。穏やかな笑顔が、すぐに目に浮かんだ。
その小谷野小学校と小菅小学校が統合して、ひらがなの「こすげ小学校」が誕生したのである。
そこに至るまで、何度も何度も協議を重ねた。いちばん難しかったのは、どうやってメンツを立てるか、ということだった。小菅小学校は小谷野小学校の二倍以上の規模があった。校舎も小菅小学校を使うことになっていた。実質は吸収合併に近い。だが、そう思わせない何かが必要だった。
校歌も校章も新しくすることになった。つまり、「新しい学校を作る」という体裁である。なかでもいちばん揉めたのが、校名だった。「小菅」という名称のままでは、小谷野側からすれば到底受け入れがたいだろう。メンツを潰せば、あとあと響く。
いろいろな校名を考えた。シンボルツリーの欅にちなんで「けやき小学校」も悪くないと思ったが、いざとなると、どこか取ってつけたような印象が拭えない。やはり地名には重みがある。
「小菅小谷野小学校」はどうにも安易だ。
そこへ、地元・小菅の自治会の間で、「小菅」のままで行くべきだという意見が強くなってきた。困った末に、苦肉の策として浮上したのが、ひらがなの「こすげ」案だった。
とにかく名前が変わったということで小谷野側を納得させ、「こすげ」の名前を残したということで地元を納得させようという、なかなかの迷案である。
最後は協議会の中で投票に委ねられた。結果、過半数を一票上回る票で校名は「こすげ」に決まった。「小菅」でいくと決めていた地元自治会の会長だったSさんが、「こすげ」に一票を投じたからである。おかげで統合は無事に進んだが、Sさんはその後もいろいろ言われたらしい。
メンツを立てることも、捨てることも、なかなか大変である。
ぼくはこの「こすげ小学校」で、俳人の齋藤二郎先生に出会い、荒井ハルエ先生に出会い、そして俳句と出会うことになる。
永塚先生のご冥福を祈りたい。