俳句フォトエッセイ2025.09.16蕃茄(とまと)添へザクザク野菜炒めかな小山正見蕃茄と書いて「とまと」と読むとは!歳時記を見て初めて知った。角川の歳時記に飯田蛇笏の次の句が載っている。白昼のむら雲四方に蕃茄熟る 蛇笏買ってきたミニトマトがちっとも美味くない。「食えないな」と思ったが、野菜炒めに入れてみたら美味しかった。彩りも良い。最近、「少しでも自炊をしなくては」と思い始めている。もう古稀も過ぎたし、喜寿すら過ぎたのだからいつ死んでもいいようなものだが、まだ暫くは死ねない事情もある。父が亡くなったのは、86歳だった。これが目安だが、この夏に病院に行ってこの目標が微妙だということがわかった。一番の問題は腎臓だ。それに他の病気も加わって「食べてはいけない」もののリストがぐんと増えた。元々偏食で食わず嫌い。子供の頃は「ごま塩坊や」と呼ばれていた。「偏食」は生きる力が弱いということだ。人類は何でも食べられたから地球の至るところに進出できた。雑食こそ、人類発展の一つの鍵だった。反対の例もある。アメリカがベトナム戦争で負けたのは、アメリカ兵が「冷えたコカコーラがないと戦えなかったから」だという説がある。軍歌に「泥水すすり草を喰み・・・」という歌詞があるが、泥水でも飲んだ人が助かったというのは本当らしい。ぼくは、年を経るごとに偏食が激しくなっている。困ったものだ。それは兎も角、この夏そんなことあんなことがあって「死」というものを強く意識するようになった。生きて活動できる時間は限られているということだ。楽しく、心穏やかに、自分のしたいことをして過ごしたいものだ。何をしたいか考えた。次の四つだ。①句集「大花野」の普及句集「大花野」はぼくと妻が生きてきた証だ。一人でも多くの方に読んでいただきたいと願っている。今度YouTube番組「大花野チャンネル」を始めることにした。きっかけはある人に「あなたは本当に奥さんを愛しているから大花野を発行したのか」と問われたことだ。「ギョッ」とした。愛とは一体なんなのか!真剣勝負で語り合った。ただ句集を通り一遍に説明するのではなく、ギリギリのところで勝負できれば、「大花野」の真実を伝えることができるのではないか。ぼくの中の心も嘘も暴かれれば、視聴者にとっては面白い番組になるかもしれない。https://youtu.be/N-TQRvGaMSY?si=cTukkqa1nxRyYaUx②俳句フォトの会と俳句フォトの普及1年間の助走期間を経て、ようやく「俳句フォトの会」の発足にこぎつけた。東京新聞に連載している「小山正見のかわさき俳句フォト」も好評である。Facebookの「俳句フォトエッセイ」もいつまで続くかわからないとしても軌道に乗っている。この俳句フォトの可能性を広げ普及したい。9月14日(日)に第二回の例会を予定している。https://www.haikuphoto.jp/meeting-2025-09/③感泣亭での諸活動自宅に居て、地元の皆さんと交流できるのは楽しい。うるおいのある生活だ。「サロンde感泣亭」「あなたを語る会」「読書会」そして「ワインを楽しむ会」や各種の講座もわくわくする。ぼくの生活の中でなくてはならない一部だ。④囲碁でパンダネット初段を目指す囲碁は、20代からのぼくの趣味である。一向に強くならない。現在は、パンダネットの1級と2級を行ったり来たりしているところだ。一度だけ初段に到達したことがあるが、たちまち蹴落とされた。安定して初段で打てるところまで行きたい。これが夢である。山田風太郎に『あと千回の晩飯』というエッセイがある。あと千回とは三年であるが、これが二千回になったとしても六年である。人生には限りがある。そのうち、何回自分で晩飯を作ることになるのか。因みに今日の朝食はコメダ珈琲だった。
蕃茄と書いて「とまと」と読むとは!歳時記を見て初めて知った。
角川の歳時記に飯田蛇笏の次の句が載っている。
白昼のむら雲四方に蕃茄熟る 蛇笏
買ってきたミニトマトがちっとも美味くない。「食えないな」と思ったが、野菜炒めに入れてみたら美味しかった。彩りも良い。
最近、「少しでも自炊をしなくては」と思い始めている。
もう古稀も過ぎたし、喜寿すら過ぎたのだからいつ死んでもいいようなものだが、まだ暫くは死ねない事情もある。
父が亡くなったのは、86歳だった。これが目安だが、この夏に病院に行ってこの目標が微妙だということがわかった。一番の問題は腎臓だ。それに他の病気も加わって「食べてはいけない」もののリストがぐんと増えた。
元々偏食で食わず嫌い。子供の頃は「ごま塩坊や」と呼ばれていた。「偏食」は生きる力が弱いということだ。人類は何でも食べられたから地球の至るところに進出できた。雑食こそ、人類発展の一つの鍵だった。
反対の例もある。アメリカがベトナム戦争で負けたのは、アメリカ兵が「冷えたコカコーラがないと戦えなかったから」だという説がある。軍歌に「泥水すすり草を喰み・・・」という歌詞があるが、泥水でも飲んだ人が助かったというのは本当らしい。
ぼくは、年を経るごとに偏食が激しくなっている。困ったものだ。
それは兎も角、この夏そんなことあんなことがあって「死」というものを強く意識するようになった。生きて活動できる時間は限られているということだ。
楽しく、心穏やかに、自分のしたいことをして過ごしたいものだ。
何をしたいか考えた。次の四つだ。
①句集「大花野」の普及
句集「大花野」はぼくと妻が生きてきた証だ。一人でも多くの方に読んでいただきたいと願っている。
今度YouTube番組「大花野チャンネル」を始めることにした。
きっかけはある人に「あなたは本当に奥さんを愛しているから大花野を発行したのか」と問われたことだ。「ギョッ」とした。愛とは一体なんなのか!真剣勝負で語り合った。
ただ句集を通り一遍に説明するのではなく、ギリギリのところで勝負できれば、「大花野」の真実を伝えることができるのではないか。ぼくの中の心も嘘も暴かれれば、視聴者にとっては面白い番組になるかもしれない。
https://youtu.be/N-TQRvGaMSY?si=cTukkqa1nxRyYaUx
②俳句フォトの会と俳句フォトの普及
1年間の助走期間を経て、ようやく「俳句フォトの会」の発足にこぎつけた。東京新聞に連載している「小山正見のかわさき俳句フォト」も好評である。Facebookの「俳句フォトエッセイ」もいつまで続くかわからないとしても軌道に乗っている。
この俳句フォトの可能性を広げ普及したい。9月14日(日)に第二回の例会を予定している。
https://www.haikuphoto.jp/meeting-2025-09/
③感泣亭での諸活動
自宅に居て、地元の皆さんと交流できるのは楽しい。うるおいのある生活だ。「サロンde感泣亭」「あなたを語る会」「読書会」そして「ワインを楽しむ会」や各種の講座もわくわくする。ぼくの生活の中でなくてはならない一部だ。
④囲碁でパンダネット初段を目指す
囲碁は、20代からのぼくの趣味である。一向に強くならない。現在は、パンダネットの1級と2級を行ったり来たりしているところだ。一度だけ初段に到達したことがあるが、たちまち蹴落とされた。安定して初段で打てるところまで行きたい。これが夢である。
山田風太郎に『あと千回の晩飯』というエッセイがある。
あと千回とは三年であるが、これが二千回になったとしても六年である。人生には限りがある。そのうち、何回自分で晩飯を作ることになるのか。
因みに今日の朝食はコメダ珈琲だった。