俳句フォトエッセイ2026.08.11風入や我に不用な本ばかり小山正見ある句会で「風入」という季語に出会った。どういう意味か歳時記で調べてみたら「虫干」の傍題とわかった。曝書も同様な意味だ。折角出会っても使わないと忘れてしまうので、ちょっと使ってみたというわけだ。我が家の書斎は、父の書斎だ。父が生きている時は、床から本が積み上がり足の踏み場もないほどだった。どこに何があるのかもわからなかった。その書斎を父の盟友の坂口昌明さんが、わかり易く整理して下さった。雑誌などもよく整理され父の仕事が俯瞰できるようになった。母が亡くなり、ぼくは12年前から父の書斎を自分の書斎のように使っている。引っ越してくる時に自分の本を大整理した。一つは、教育関係の本はほとんどすべて処分した。本棚二つ分ぐらいあったが、俳句教育は別として、教育一般にはもう関わらないと決めたからだ。もう一つ、小説など軽い読み物類も処分した。まだ読んだことのない本はいずれ読むとして捨てられないし、読んだ本には愛着があるのだが、この時はかなり思い切った。無論、残した本もある。どういうわけか、別役実の本は童話から戯曲、評論に至るまで捨てられなかった。彼の独特の論理の立て方に惹かれていたからだろう。俳句や日本語関係の本はもちろん残してある。自分の本を入れるために次に整理したのが父の集めた漢籍に関する本だった。ぼくが読めるわけがないからだ。佐藤保先生が何日も我が家に来て下さった。今考えるとこんな大先生にそんな仕事をしていただいて大変申し訳ないことだったが。父の蔵書には短歌や俳句関係の本も多い。斎藤茂吉の歌集は大方揃っているし、虚子の『句日記』もある。漱石全集もあれば、堀辰雄全集も。正法眼蔵もあれば、国歌大観もある。どれも目移りのするほど価値のある本だが、残された人生でぼくはこれらの本を紐解くことはもうないだろう。名残は尽きないが、残された10年のために、この書棚の「大風入」はやらなくてはならないかもしれない。
ある句会で「風入」という季語に出会った。どういう意味か歳時記で調べてみたら「虫干」の傍題とわかった。曝書も同様な意味だ。折角出会っても使わないと忘れてしまうので、ちょっと使ってみたというわけだ。
我が家の書斎は、父の書斎だ。父が生きている時は、床から本が積み上がり足の踏み場もないほどだった。どこに何があるのかもわからなかった。その書斎を父の盟友の坂口昌明さんが、わかり易く整理して下さった。雑誌などもよく整理され父の仕事が俯瞰できるようになった。
母が亡くなり、ぼくは12年前から父の書斎を自分の書斎のように使っている。
引っ越してくる時に自分の本を大整理した。一つは、教育関係の本はほとんどすべて処分した。本棚二つ分ぐらいあったが、俳句教育は別として、教育一般にはもう関わらないと決めたからだ。もう一つ、小説など軽い読み物類も処分した。
まだ読んだことのない本はいずれ読むとして捨てられないし、読んだ本には愛着があるのだが、この時はかなり思い切った。
無論、残した本もある。どういうわけか、別役実の本は童話から戯曲、評論に至るまで捨てられなかった。彼の独特の論理の立て方に惹かれていたからだろう。俳句や日本語関係の本はもちろん残してある。
自分の本を入れるために次に整理したのが父の集めた漢籍に関する本だった。ぼくが読めるわけがないからだ。佐藤保先生が何日も我が家に来て下さった。今考えるとこんな大先生にそんな仕事をしていただいて大変申し訳ないことだったが。
父の蔵書には短歌や俳句関係の本も多い。斎藤茂吉の歌集は大方揃っているし、虚子の『句日記』もある。漱石全集もあれば、堀辰雄全集も。正法眼蔵もあれば、国歌大観もある。
どれも目移りのするほど価値のある本だが、残された人生でぼくはこれらの本を紐解くことはもうないだろう。
名残は尽きないが、残された10年のために、この書棚の「大風入」はやらなくてはならないかもしれない。