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風薫る立原道造てふ詩人

小山正見

感泣亭で「立原道造を語ろう」という会が行われた。
建築家でもあった立原の描いた図面や別所沼に建てられたヒヤシンスハウスなどが話題の中心になった。
立原道造は、言葉の美しさと独特の抒情を持つ詩人で24歳で夭折した。

夢みたものは‥‥ 立原道造

夢みたものは ひとつの幸福
ねがったものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しずかな村がある
明るい日曜日の 青い空がある

日傘をさした 田舎の娘らが
着かざって 唄をうたっている
大きなまるい輪をかいて
田舎の娘らが 踊をおどっている

告げて うたっているのは
青い翼の一羽の 小鳥
低い枝で うたっている

夢みたものは ひとつの愛
ねがったものは ひとつの幸福
それらはすべてここに ある と

ぼくの父、小山正孝は立原道造と縁があった。杉浦明平に紹介され、室生犀星宅の留守番をしていた道造に会って、「きみは詩を書くべきだ」と言われたという。
立原が書いた最後の手紙を受け取っているのも正孝だった。
正孝は「立原を抜けるのに20年かかった」と後に述べているが、それほどの影響力を詩壇と時代に与えたのが立原道造という詩人だ。
正孝は、戦前の山本書店版をはじめ、戦後の角川書店版など繰り返し発行された立原道造全集の編集委員を務めている。
一般には、冒頭に挙げたような牧歌的で夢想的な詩が立原の代表作とされているが、正孝は、死の直前の詩の暗さにこそ立原の本質があると見ていたようだ。
現代のような殺伐な世の中で立原の詩の世界は一つのメルヘンに過ぎないようにも見えるが、ぼくはここに人間が望む理想の一つがあるのだと思う。
立原道造の詩を今一度読み直してみることにしよう。