俳句フォトエッセイ2025.08.26鬼灯を供へて母と対面す鬼灯を供へて母と対面す小山正見母が他界したのは、2014年3月23日だから、もう10年以上前のことである。にもかかわらず、「お母さまにお供えください」と鬼灯をいただいた。それで、ぼくは鬼灯を供え、母と写真と久しぶりに対面した。我が家はちょっと変わっている。一切宗教的なことをしない家なのだ。まず、戒名がない。そして、位牌もない。葬式の時以外お経をあげてもらったこともない。これが父の考えだったのか、母の考えだったのか話したことは一度もなかった。考えてみるとお盆とか、お彼岸には意味がある。定期的に死者に、先祖に、向かい合うことができるからだ。ぼくの場合は、たまたま思いついた時に、写真と対面し線香を立てる。時々に頭の中を巡ることは異なる。鬼灯を供えながら、ぼくの頭を巡ったことは、家族以外にも母を愛してくれた人のいた母の幸せについてだった。父を失ってからの10年、母は1人で生きた。「主人は留守、しかし主人の声がする」と夫の正孝と正孝の詩について書き続けた。亡くなる前の年には、93歳で小説「丸火鉢」を書いた。そうしたことだけでなく、母は周りの人々にこよなく愛されていたのだということに思い至った。「今死ねば、私は一番幸せなの」という母の言葉には、こうした意味もあったのではないか。
母が他界したのは、2014年3月23日だから、もう10年以上前のことである。にもかかわらず、
「お母さまにお供えください」
と鬼灯をいただいた。
それで、ぼくは鬼灯を供え、母と写真と久しぶりに対面した。
我が家はちょっと変わっている。一切宗教的なことをしない家なのだ。
まず、戒名がない。そして、位牌もない。葬式の時以外お経をあげてもらったこともない。
これが父の考えだったのか、母の考えだったのか話したことは一度もなかった。
考えてみるとお盆とか、お彼岸には意味がある。定期的に死者に、先祖に、向かい合うことができるからだ。
ぼくの場合は、たまたま思いついた時に、写真と対面し線香を立てる。
時々に頭の中を巡ることは異なる。
鬼灯を供えながら、ぼくの頭を巡ったことは、家族以外にも母を愛してくれた人のいた母の幸せについてだった。
父を失ってからの10年、母は1人で生きた。「主人は留守、しかし主人の声がする」と夫の正孝と正孝の詩について書き続けた。亡くなる前の年には、93歳で小説「丸火鉢」を書いた。
そうしたことだけでなく、母は周りの人々にこよなく愛されていたのだということに思い至った。
「今死ねば、私は一番幸せなの」
という母の言葉には、こうした意味もあったのではないか。