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俳句フォトエッセイ

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目凝らせば万の団栗ありにけり

モノクロでは何の写真か一瞬迷うだろう。これはマテバシイの木の下に降り積もった落葉の写真である。この落葉の間に団栗(どんぐり)が隠れている。先日子どもたちと団栗拾いをした。「1 人 10 個は探してみよう」と声をかけたら、あっという間に 100 個を超えてしまった。一体どのくらいの数の団栗がこの一本の木の下にあるのだろうか。団栗というのは、樫(かし)や櫟木(くぬぎ)などブナ科の樹木の果実のことを言う。硬い殻に包まれ、帽子のような「殻斗(がくと)」が付いている。子供に俳句を作らせると必ずというようにどんぐりはぼうしをかぶっておさんぽだというような句ができる。団栗を使って遊ぶのは楽しい。

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引潮の残す文様雁渡る

恒例の鎌倉吟行である。鎌倉の知られざる名所を毎回案内してくださる。それに甘えて、出来るだけ参加するようにしている。江東区を退職してからだから、3年目だろうか。先月は元八幡に行った。今月は材木座海岸である。この材木座の名称は和賀江島に船着場が出来、材木などの集積地になったことによるらしい。今でも和賀江島の船着場の跡が残っている。遠浅の海で、海水浴には最適である。ぼくは、この材木座海岸で泳いだ記憶がある。正確に言えば、すぐ近くにあるお寺、光明寺に泊まった事があるのだ。もしかしたら、寺そのものでなく民宿だっのかもしれない。なんとなく高校時代の親友のNが一緒だったような気がして、メールで聞いてみたら。

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幾重にも命包みぬ秋の薔薇

東京新聞の川崎版に轟緑地の薔薇園が今年で休園になると言う記事を見たら、急に薔薇が見たくなった。今日は何一つ予定が入っていないまず思い浮かんだのは横浜山下公園である。ここの薔薇園は「国際友好の薔薇園」と称しているらしい。いかにも横浜である。規模も結構大きい。妻とよく散歩に来た。薔薇園に座り、ぼうーとして海を見ていた。ぼくの句集『大花野』の海を見て暗き日永をやり過ごすである。https://amzn.to/4ofWdOc 港が見える丘公園の薔薇園もよい。ここの薔薇園も相当なものだ。丘に登る階段では息を切らすが、展望台からは横浜を一望に見渡す事ができる。大佛次郎記念館や神奈川近代文学館もある。

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洗濯機秋の夜長を回りけり

全自動洗濯機である。洗濯物を放り込み、スイッチを入れたら、乾いた洗濯物が出てくる。コレを使うようになったら、洗濯の手間が一気に減った。干さなくていいのだ。これまでは、洗濯物を一枚一枚伸ばし、皺を取るために手のひらでバンバン叩き、物干に一枚一枚干さなければならなかった。乾いても、まだ取り入れるという作業が残っている。ところが、全自動洗濯機では、夜寝る時にスイッチを入れておけば朝までに乾いているのだ。もちろん問題もある。ある時はウールの上等な洋服を放り込んだら縮んで着られなくなってしまった。麻混のシャツは袖がくしゃくしゃになったまま乾いてしまう。それでも圧倒的に楽だ。

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アレやコレやってられねぇ神無月

急に気候が冬になった。富士山も初冠雪だそうだ。押入れからコートとセーターを引っ張り出した。「こんなに急に寒くなったらやってられないなぁ」と思っていたところに、しばらく会っていない友人からLINEが届いた。「先生からInstagramにこんなのが来ました。ご存知ですか?」コレが写真の文書だ。確かに差出人は僕の名前と顔写真である。「やられた。乗っ取られた!」もし被害がでたら困る。「ニセモノです!ご注意ください!」とるものも取り敢えず流した。2ヶ月程前にもfacebookのニセアカウントが作られた事がある。その時は、そのアカウントを特定し、削除する事で解決した。

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青北風や学舎の前の大銀杏

「青北風」と書いて「あおきた」と読ませる。歳時記をつらつら眺めていたら出てきた言葉だ。初めて知った。「雁渡し」と同じような意味で、本当は初秋から仲秋にかけて吹く北風の事を言う。今の季節に合わないじゃないかと文句を言われそうだが、ご容赦願いたい。一度使うと忘れなくなるものだから。🙏それにしても見事な大銀杏だ。後の学舎は、千代田区立九段小学校である。ぼくの勤務していた八名川小学校もそうだが、学校に併設して公園が作られている。確か、墨田区も中央区もそうだ。これは、関東大震災の教訓としてできたようだ。九段小学校の校舎は2018年に建て替えられた最新の学舎だ。

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剃る髭に白の混じりぬ秋の暮

鏡で自分の顔をしげしげと眺めた。頭の毛ばかりでなく、顎の髭も相当に白くなっている。毎朝、髭を剃るのは面倒くさい。実に面倒くさい。若い時の無精髭なら、それなりに格好いいが、ジジイの無精髭はみすぼらしくなるだけだ。実は、一度だけ口髭を蓄えたことがある。24歳で結核療養所にお世話になっていた時である。しかし、やってみると髭を全部剃るのより手間がかかる。顎などは剃らなくてはならないし、その上伸ばしている髭も長さをそろえるないと、たちまちだらしなく見える。昔は毛深い方が女性にモテた。胸毛などは男らしさの象徴だった。今は時代が逆転した。毛深い方が敬遠されたりする。髭は現代に似合わない。

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秋の薔薇古き駅舎の供のごと

東急線田園調布の駅舎である。「駅舎だった」という方が正確だろう。東急線は今は地下ホームになっており、古いこの駅舎は今はモニュメントである。大豪邸が立ち並ぶ田園調布をぼくは好きだ。駅前の窓の大きなカフェで数時間を過ごし、田園調布の町を散策する。それは、時にはぼくの日課のようにさえなっている。。特に夕暮れ時の田園調布の町は美しい。広い庭の奥の洒落た家屋の窓に灯が灯る。。絵本の中にいるような錯覚に陥る。時には、住宅街の中にある画廊でひとときを過ごす。多摩川台公園まで足を伸ばし、台地から多摩川の流れを見下ろすこともある。しかし、負け惜しみではないが、ここに住むのは大変だろうなとも思う。

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天高し品格のある麻布の子

45歳で教頭として赴任した麻布小学校で学んだことは、山のようにあった。平の教員の時には好き勝手に発言し行動すれば良いが、教頭となるとそうはいかない。お殿様である校長先生の意図を読み取り、実現のために動く家老のような存在。それが教頭の立ち位置である。「区の研究指定校を受けたい」指定校を受ければ、仕事が大変になる。先生方の多くは反対する。当時の学校はまだまだ組合の力も強かった。説得し、抑え込み、できるだけしこりを残さずに実現するのが教頭の腕ということになる。「品格ある麻布の子」というのは、麻布小学校の昔から伝統的な校訓だった。

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来し方を辿る歌なり鶴来る

松井信幸著『昭和歌謡ものがたり』(アルソス新書)である。この本は、先日紹介した『もう一度聞きたいGS・フォーク・ニューミュージック読む昭和の曲63』の姉妹編である。Amazonでも購入することができる。https://amzn.to/4nfOhLn今年の上半期に読んだ本の中で一番印象に残ったのがこの本だった。それはぼくの年齢とも関係しているかもしれない。昔が懐かしく、自分の人生を振り返ってみる歳になったということだ。この本には、昭和30年代から昭和の終わりまでの歌謡曲とそれにまつわる挿話が網羅されている。その時代はそっくりぼくの前半生と重なるのだ。