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グループホーム

俳句フォトエッセイ

なしぶどう感謝を込めてカレー食ぶ

お世話になったワーカーズコレクティブパンジー(以下、パンジー)から写真のような案内が届いた。「みんなでごはん」という催しだ。今、全国に広がっているこども食堂と同系列の試みといって良いと思う。これらの試みは、貧困対策という側面もあるかもしれないが、それ以上に「地域で共に子どもを育てる」とか「地域で共に暮らす」象徴的な取組ではないかとぼくは捉えている。カレーライスだけでなく、梨や葡萄のデザートも添えられ、コーヒーや紅茶も供された豪華な夕食だった。妻がグループホームに入居するまでの数年間、ぼくたちはパンジーに毎日のようにお世話になった。実は、ぼくは認知症が介護保険の対象になることを長く知らなかった。

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青空と東京タワーと聖五月

3日間通って、ようやく五月晴れの東京タワーを捉えることができた。神谷町駅を降り、飯倉の交差点を曲がると目の前が東京タワーだ。今日は雲一つなかった。人出は想像以上だった。外国人の団体が次から次へとやってくる。引率の日本人ガイドの冗談が耳に飛び込んでくる。エレベーターで45秒。展望台に上がる。目の前に東京の高層ビル群が林立している。お台場の海が光っている。この場所にいると東京という都市を丸ごと感じることができるかのようだ。現在では東京タワーの展望台より高いビルも珍しくない。それでもここが人気なのは、未来を信じられた時代へのノスタルジーかもしれない。

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新緑の下なる時間つぶしかな

若干暑いが、それでも5月らしい気持ち良い天気の日が続いている。某小学校での俳句の授業が終わってから、妻の入居しているグループホームに向かった。このグループホームにお世話になってもう5年半を過ぎる。幸せなのは、良いスタッフに恵まれたことだ。病気の進行は仕方がないし、人も選べない。入居に当たってたくさんのホームを見学・比較したわけでもない。運としか言いようがないが、明るくて穏やかで面倒見が良いスタッフがこのホームには大勢いた。しかも、そのスタッフが継続して勤務してくれている。有難いことだと思わざるを得ない。もう一つ良いことがあった。面会がほとんど制限されなかったことだ。

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葉桜の下のもぐもぐタイムかな

妻のお世話になっているグループホームは、我が家から歩いて20分ほどの距離にある。入居してからもう5年に近くなる。通う道は、ほぼ決まっているので、国際交流センターの脇を通り、井田中の裏を行くルートだ。途中に生協のストアとセブンイレブンがある。どちらかの店で、妻の好物のプリンを買っていくのが、習慣になっている。今の時期は良いが、盛夏は暑すぎて辛い時もある。往復たった40分の距離が辛いとは笑止千万だが、途中の生協かコンビニの冷房に当たって一息入れることも多い。「自転車を買おう」と何度か考えたが、歩く方が運動になると考えてやめた。歩くと、植物がよく見える。今の時期は、躑躅だ。

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霾(よな)曇りいつたいどこのどなたかな

ブレーメン通りで会釈をされた。何となくお会いしたような気はするが、いくら思い出そうとしても思い出せない。名前を忘れるのは20年前から始まっている。職員の離任式でのことだ。さっきから普通に呼んでいた名前が、朝礼台の上で突然出なくなる。人の名前ばかりか物の名前も出てこない。ある時は「コンビニ」という名前がどうしても出てこなかった。最近はその度合いが進行しているようだ。毎月1回認知症のグループホームで句会のようなものをしている。毎月お会いするのに、その方々の名前が全く出てこないのだ。ただ、ここでは「最近物忘れが激しくなって名前を忘れちゃったからもう一度教えて」と言っても違和感がないからいい。

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暖かや我に戻りぬハンチング

春一番の吹いた日、ぼくは南野川ふれあいの森にいた。Oさんから教えていただいた場所だ。Googleマップで調べたら地下鉄グリーンラインの東山田から歩く道が紹介された。それから先は3/1付東京新聞の「小山正見のかわさき俳句フォト」に記した通りだ。帰りのルートを調べたら武蔵小杉までのバスがあることがわかった。中原で降りれば、妻のお世話になっているグループホームまで近い。バスはすぐ来た。東急バスである。中原でバスを降りて気がついた。何となく頭が寒い。「あっ、忘れた」その日被っていたハンチング帽をバスに忘れたのだ。スマホで東急バスの忘れ物センターを検索したら、すぐに電話番号がわかった。

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蒼天に渦を巻きたる秋の雲

妻がお世話になっているグループホームの前である。既に4年が過ぎた。ぼくはこの土地を200回以上見続けてきたことになる。最初は畑でかなりの部分で作物が作られていた。昨年はキャベツが二畝植えられていたが、収穫されずに菜花の茎が伸び放題になっていた。その土地を半分売ったらしい。白い膜が張られ、工事が始まったようだ。住宅かマンションだ建つ気配が強い。大きなクレーンが入っているのを見ればマンションの公算の方が高いだろう。それにしても久しぶりの秋らしい空だ。湿度が下がったということだ。空の奥まで見通せるかのようだ。空に見える雲は、おそらく巻雲だろう。

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灯の点りやうやく秋のほのかかな

グループホームで妻と面会した帰り道。国際交流センターの庭に灯が点っていた。妻がグループホームにお世話になってまる四年だ。今年になってからは寝たきりの状態。ほとんど応答はない。しかし、今日は肩を揉んで「気持ちいい?」と声を掛けると僅かにうなづいた。ホームの職員の方が「今朝は食欲がありましたよ」とにっこりして話しかけてくれた。昨日は認知症の人と家族の会の小さな会合に参加した。この会を知ったのは2年ほど前、NHKのテレビ番組であった。すぐに連絡を取り会員になった。この「認知症の人と家族の会」は1980年に結成され、全国47都道府県に支部を持ち会員は1万1千人にのぼると言う。

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日傘差す男の見栄は横に置く

暑い日が続く。毎日35℃とは、異常に違いない。かつては「夕立」というのがあった。一雨ざあーと降って、やむと涼しくなり、虹が掛かったりした。30℃位だと「夕立」ぐらいのエネルギーなのだが、35℃になるとエネルギーが桁違いで、集中豪雨並みになるという天気予報士の解説を聞いて腑に落ちた。日傘もかつては装飾品の域だった。日焼けを防ぐためのご婦人の身だしなみに過ぎなかった。レースをあしらった「白日傘」など優雅なものだ。印象として言えば、クロード•モネの「日傘をさす女」である。「日傘は女がさすモノ」という観念がぼくの頭の中に染み付いていた。

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始まりも終わりも緑七変化

我が家の紫陽花は頭をちょん切ってしまった。もし、花をつけたままにしておいたら、写真のような緑に戻るのであろうか。紫陽花の花は実は花弁ではなく萼であり散らないと以前に書いた。次第に鈍色になり、色を失っていく。そのことは、よく観察し認識していた。しかし、この枯れた紫陽花の色は何となく咲き始めの紫陽花に似てはいないだろうか。紫陽花の異名に「七変化」がある。紫陽花は土壌の性質によって色が変わる。確か、酸性だと青になり、アルカリ性だと赤になるはずだ。「七変化」とはこの色の変化を指すものとばかり思っていた。がそればかりではない。薄緑の「花」に色がつき、そしてまた緑に戻る。その過程も「七変化」なのだ。