俳句フォトエッセイ2026.05.30新緑の下なる時間つぶしかな小山正見若干暑いが、それでも5月らしい気持ち良い天気の日が続いている。某小学校での俳句の授業が終わってから、妻の入居しているグループホームに向かった。このグループホームにお世話になってもう5年半を過ぎる。幸せなのは、良いスタッフに恵まれたことだ。病気の進行は仕方がないし、人も選べない。入居に当たってたくさんのホームを見学・比較したわけでもない。運としか言いようがないが、明るくて穏やかで面倒見が良いスタッフがこのホームには大勢いた。しかも、そのスタッフが継続して勤務してくれている。有難いことだと思わざるを得ない。もう一つ良いことがあった。面会がほとんど制限されなかったことだ。コロナの時にも時間や場所の制限こそあったが、面会そのものができないことはほとんどなかった。施設側とすれば、とても緊張を強いられたことであったろうが家族としては嬉しいことだった。この日は、天気が良かったので妻の車椅子を押して、近くの公園まで「散歩」することにした。妻の目に何が映り、何を感じているのか定かにはわからないが、緑の葉を広げた大きな欅の木の下は、いかにも気持ちよさそうに見えた。見回すと、周りは子供たちばかりだ。男の子はゲームに夢中のようだ。奥にいる女の子はおしゃべりが止まらないように見える。もっと幼い子どもたちは、遊具の間を走り回っている。滑り台に登り、雲梯を飽きずに渡っている。幼ければ幼いほど体を動かすのが好きなようだ。その行動に計画があるわけではない。目的があるわけでもない。ただ「楽しいから」に違いない。友だちとおしゃべりするのが楽しいのだ。ゲームが楽しいのだ。走り回るのが楽しいのだ。それは、ある種の時間つぶしに過ぎないかもしれないが、考えてみれば人生そのものも壮大な時間つぶしなのだとも思う。ぼく自身についても妻との面会に行くのが楽しいから面会に行き、気持ちがいいから散歩に行く。このエッセイにしても書くのが楽しいから書いているに過ぎない。子どもたちと同じようにぼくも残された時間、一瞬一瞬を楽しく過ごしていきたいものだ。
若干暑いが、それでも5月らしい気持ち良い天気の日が続いている。某小学校での俳句の授業が終わってから、妻の入居しているグループホームに向かった。
このグループホームにお世話になってもう5年半を過ぎる。幸せなのは、良いスタッフに恵まれたことだ。病気の進行は仕方がないし、人も選べない。入居に当たってたくさんのホームを見学・比較したわけでもない。運としか言いようがないが、明るくて穏やかで面倒見が良いスタッフがこのホームには大勢いた。しかも、そのスタッフが継続して勤務してくれている。有難いことだと思わざるを得ない。もう一つ良いことがあった。面会がほとんど制限されなかったことだ。
コロナの時にも時間や場所の制限こそあったが、面会そのものができないことはほとんどなかった。施設側とすれば、とても緊張を強いられたことであったろうが家族としては嬉しいことだった。
この日は、天気が良かったので妻の車椅子を押して、近くの公園まで「散歩」することにした。
妻の目に何が映り、何を感じているのか定かにはわからないが、緑の葉を広げた大きな欅の木の下は、いかにも気持ちよさそうに見えた。
見回すと、周りは子供たちばかりだ。男の子はゲームに夢中のようだ。奥にいる女の子はおしゃべりが止まらないように見える。
もっと幼い子どもたちは、遊具の間を走り回っている。滑り台に登り、雲梯を飽きずに渡っている。幼ければ幼いほど体を動かすのが好きなようだ。
その行動に計画があるわけではない。目的があるわけでもない。ただ「楽しいから」に違いない。
友だちとおしゃべりするのが楽しいのだ。ゲームが楽しいのだ。走り回るのが楽しいのだ。
それは、ある種の時間つぶしに過ぎないかもしれないが、考えてみれば人生そのものも壮大な時間つぶしなのだとも思う。
ぼく自身についても妻との面会に行くのが楽しいから面会に行き、気持ちがいいから散歩に行く。
このエッセイにしても書くのが楽しいから書いているに過ぎない。
子どもたちと同じようにぼくも残された時間、一瞬一瞬を楽しく過ごしていきたいものだ。