【初心者歓迎】俳句フォトの会 会員申込はこちら

冷まじき昭和の残滓山田荘

小山正見

壁に張ったトタン板は、赤く錆びている。もう誰も入居者は居ないだろう。外付けの階段は荒果てている。そんな山田荘にも光る時代があったはずだ。ぼくは、この古びたアパートの脇を通りながら、新婚の数か月を過ごしたアパートを思い出した。
北千住から西新井大師に向かう大師道、西新井小学校の前辺りにそのアパートはあった。名前は山賢荘。外付け階段の2階、6畳と4畳半の2部屋、風呂はなかった。ままごとみたいな結婚生活だった。
結婚と同時に就職したぼくは、その部屋から職場である足立区立江北小学校に通った。
同時に入った新卒の仲間が7人もいる学校だった。ぼくは、2年生の担任に充てられた。
子どもと遊んでいて給料をもらえることが妙に不思議だったが、授業や学級経営は悲惨なものだったのではないか。
1学期が終わる7月に入った頃だった。咳が出て止まらない。微熱さえある。近くにある西新井病院に通い、薬をもらった。ところが、それでも症状は一向に改善しない。
文句を言うつもりで
「全然、治らないですよ」
と言うと
「レントゲンを撮ってみましょう」
と医者は応えた。
胸のレントゲン写真を見ながら、医者は
「ああ、ありますね。ほらここですよ」
結核だった。
「軽いから大丈夫ですよ」
「どのくらいで治りますか?」
「2、3年もあれば大丈夫と思います」
ショックだった。
8月は、一ヶ月水道橋にあった結核予防会に通い、週に3本ストレプトマイシンの注射を打った。そして、9月から三楽病院の野火止分院に入院することになった。
入院している間に、東京都住宅供給公社の住宅があたり引っ越したので、山賢荘に戻ることはなかった。
今は、どうなっていることだろう。
山田荘の姿は、ぼくを50年前に連れ戻してくれた。ぼくに歴史があったように山田荘にも思い出深い歴史があったに違いない。山田荘のトタンの赤い錆が輝いて見えた。

この句の季語秋

冷まじすさまじ

晩秋、冷えが身にしみて、ぞっとするほど寒々しく感じられること。