俳句フォトエッセイ2025.05.07春の果風車ふうわりふわりかな小山正見港の見える丘公園のフランス領事館跡地にある風車である。あるかなきかの風に浮いているかのように見える。ここに来たのは2019年の3月、神奈川近代文学館のホールでのきごさい全国小中学生俳句大会の表彰式以来だ。6年ぶりである。今日は、近代文学館で行われている「大岡信展 言葉を生きる 言葉を生かす」を見るために来た。ぼくが大岡信と出会ったのは朝日新聞に連載された「折々の歌」であった。そこでぼくは俳句や短歌の楽しさに触れた。父、正孝も大岡信との接点があったようだ。死後、写真や手紙類を整理した際に、大岡と一緒に写った写真や葉書が何枚も出てきた。大岡信展は、実に丁寧に設計され、資料を揃え、彼の一生と仕事の全貌がよくわかる展示になっていた。展示を見て、大岡信は天才だと思った。ぼくは彼の評論家という側面からしか接していなかったが、彼の一面は、創作者であり、詩人だったということを改めて知った。瑞々しい感性がほとばしっていた。大岡信の詩https://ookamakotokenkyu.verse.jp/?page_id=140展示で分かったことは、創作の行き着いた先は連句であり連詩であるということだ。連句・連詩の復活こそ、彼が現代に問いかけたものだったのではないかと思った。大岡信は、大谷翔平のように、詩歌の世界における二刀流を使いこなした人だったのだ。とてつもない知性があったことを改めて知った。かつて線を引きながら読んだ『うたげと孤心』や『折々の歌』を読み直してみようと思った。港が見える丘公園の新緑は美しかった。あと数日もすれば薔薇園の薔薇も咲き始めるだろう。大岡信展は5月18日(日)までである。
港の見える丘公園のフランス領事館跡地にある風車である。あるかなきかの風に浮いているかのように見える。
ここに来たのは2019年の3月、神奈川近代文学館のホールでのきごさい全国小中学生俳句大会の表彰式以来だ。
6年ぶりである。
今日は、近代文学館で行われている「大岡信展 言葉を生きる 言葉を生かす」を見るために来た。
ぼくが大岡信と出会ったのは朝日新聞に連載された「折々の歌」であった。そこでぼくは俳句や短歌の楽しさに触れた。
父、正孝も大岡信との接点があったようだ。死後、写真や手紙類を整理した際に、大岡と一緒に写った写真や葉書が何枚も出てきた。
大岡信展は、実に丁寧に設計され、資料を揃え、彼の一生と仕事の全貌がよくわかる展示になっていた。
展示を見て、大岡信は天才だと思った。
ぼくは彼の評論家という側面からしか接していなかったが、彼の一面は、創作者であり、詩人だったということを改めて知った。瑞々しい感性がほとばしっていた。
大岡信の詩
https://ookamakotokenkyu.verse.jp/?page_id=140
展示で分かったことは、創作の行き着いた先は連句であり連詩であるということだ。
連句・連詩の復活こそ、彼が現代に問いかけたものだったのではないかと思った。
大岡信は、大谷翔平のように、詩歌の世界における二刀流を使いこなした人だったのだ。
とてつもない知性があったことを改めて知った。
かつて線を引きながら読んだ『うたげと孤心』や『折々の歌』を読み直してみようと思った。
港が見える丘公園の新緑は美しかった。あと数日もすれば薔薇園の薔薇も咲き始めるだろう。
大岡信展は5月18日(日)までである。