【初心者歓迎】俳句フォトの会 会員申込はこちら

立冬やいつの間にかの北綾瀬

小山正見

三郷に向かう途中だった。いつものように明治神宮前からメトロ千代田線に乗った。このまま行けば、乗換駅の新松戸まで行くはずだ。
ところが、突然の車内アナウンス。
「次は北綾瀬」
北綾瀬行きの千代田線があるとはびっくりした。
北綾瀬は足立区だ。ぼくが最初に勤めたのも足立区だった。江北小学校という歴史の古い学校だった。降りるバス停は「荒川土手」まだ高速道路ができる前のことだ。江北橋のたもとあたりである。当時の足立区の南北に走る鉄道は、東武伊勢崎線だけだった。今は、舎人までモノレールが通り、筑波エキスプレスもある。それに千代田線の北綾瀬までの延伸。大分便利になった。
当時、ぼくは浅草に近い墨田区の業平橋に住んでいた。
東武線で西新井まで出て、バスに乗る。そのバスが必ず渋滞に巻き込まれる。「荒川土手」まで辿り着く方が稀だった。毎日、どの停留所で降りたら良いかハラハラした。学校にはどの停留所から歩いても10分以上はかかった。
ぼくはこの学校で9年を過ごした。一番古い先生は家島先生と言った。18歳で教職につき、72歳まで江北小に勤められた伝説の先生だった。図工の木村先生は23年目、優しい鬼塚先生は16年目だった。10年ぐらいいらした先生はざらにいた。不便なのに居心地がいい学校だったのだ。
ぼくが一番影響を受けたのは加賀谷稔先生。アイデアに溢れる方だった。こどもだけで運営する春の運動会やオリエンテーリング大会が企画された。竹を割るところから作る大凧を荒川土手に飛ばしに行った。生まれて初めて触れたパソコンも加賀谷先生が持ち込んだものだった。
夏休みには、こどもたちの水泳指導にのめり込んだ。土曜日の放課後はサッカークラブのお手伝い。ブラックが楽しい時代だった。