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銀杏散る映(ば)えを狙つてツーショット

小山正見

ご存知、神宮外苑の絵画館前である、
都政新報の「暮らしを楽しむ俳句フォト」の取材を兼ねて出かけた。
銀杏は12月いっぱいは持つかと思っていたが、もう相当に散っている。歩道は既に黄色く染まっている。そんなには長くもたないだろう。見に行ってよかった。
神宮外苑の銀杏の特徴は、芯止めをしていないことだ。だから細く細く、上へ上へと伸びていく。多くの銀杏の並木が芯止めをして少しこんもりしているのとは対照的である。
銀杏並木を見ながら考えたことは、「銀杏散る」という季語についてだった。
「銀杏(いちょう)」だけでは季語にならない。銀杏散ると言って、初めて秋の季語になる」と子供たちには教えてきた。
しかし考えてみると「銀杏散る」は極めて独特な表現だ。「桜紅葉散る」とか「柿紅葉散る」とは言わない。
銀杏はそれこそ、降るように散る。まるで花吹雪のようだ。これこそ「銀杏散る」という言葉の本意だろう。知っている人からすれば「今頃何言っているのか」と呆れられるかもしれないが、一つの言葉をようやくものにできた喜びは大きい。

銀杏並木の半分は歩行者天国になっている。あたかも写真の撮影会場の様相である。恋人や友達同士で盛んに写真を撮り合う。
そのポーズも決まっている。まるでアイドルのようだ。そのまま写真のグラビアになっても不思議ではない。
「映(ば)え」がしっかり社会に浸透してあることを感じた銀杏並木でもあった。