俳句フォトエッセイ2025.05.22降るほどに緑の影の広がりぬ小山正見地下鉄有楽町線の辰巳駅を降りた。5月の気持ち良い日差しが降り注いでいた。橋の向こう側には高層のマンション群が巨大な姿を見せている。江東区立第二辰巳小学校は辰巳駅からすぐだ。江東区内でも最も交通の便の良い学校の一つだ。ぼくがこの学校に転勤になったは、44年前だった。当時は交通手段は、都バスしかない陸の孤島のような学校だった。正に「地の果てアルジェリア」だった。雪が降るとその都バスが止まる。東西線の木場駅まで雪の中を一時間近くかけて歩いた。埋立地のゴミ処分場にハエが大量発生し、ハエトリ紙を教室にぶら下げたこともあった。しかし、である。開校5年にも満たない若い学校で伝統がない分自由だったのだ。スポーツの得意な若い先生が集まっていた。バスケットボール、バレーボール、バドミントン、野球。学校の対抗のどの大会でも優勝をかっさらった。4時になると、誰ともなく体育館に集まってバドミントンが始まった。それをいいことに、ぼくもかなり自由に振舞った。授業を潰して学級で大凧を作り、原っぱに飛ばしに出かけた。学級通信を毎日のように発行した。ある時は子どもたちを後楽園の巨人阪神戦に連れて行った。逆に辛いこともあった。飛び込みで受け持った6年生の学級経営に失敗して、子どもたちと上手くいかなくなった。今で言う学級崩壊である。ぼく自身が月曜日になると学校に行くのが苦しくなった。毎朝4時になるとびっしょり寝汗をかいて目が覚めた。妻の励ましがなかったら、心が折れてしまっていたに違いない。ぼくはこの第二辰巳小学校で働き盛りの10年を過ごした。そして有楽町線の辰巳駅が開業すると同時に港区の学校に転勤することになった。
地下鉄有楽町線の辰巳駅を降りた。5月の気持ち良い日差しが降り注いでいた。橋の向こう側には高層のマンション群が巨大な姿を見せている。
江東区立第二辰巳小学校は辰巳駅からすぐだ。江東区内でも最も交通の便の良い学校の一つだ。
ぼくがこの学校に転勤になったは、44年前だった。
当時は交通手段は、都バスしかない陸の孤島のような学校だった。正に「地の果てアルジェリア」だった。雪が降るとその都バスが止まる。東西線の木場駅まで雪の中を一時間近くかけて歩いた。埋立地のゴミ処分場にハエが大量発生し、ハエトリ紙を教室にぶら下げたこともあった。
しかし、である。
開校5年にも満たない若い学校で伝統がない分自由だったのだ。スポーツの得意な若い先生が集まっていた。バスケットボール、バレーボール、バドミントン、野球。学校の対抗のどの大会でも優勝をかっさらった。4時になると、誰ともなく体育館に集まってバドミントンが始まった。
それをいいことに、ぼくもかなり自由に振舞った。授業を潰して学級で大凧を作り、原っぱに飛ばしに出かけた。学級通信を毎日のように発行した。ある時は子どもたちを後楽園の巨人阪神戦に連れて行った。
逆に辛いこともあった。飛び込みで受け持った6年生の学級経営に失敗して、子どもたちと上手くいかなくなった。今で言う学級崩壊である。ぼく自身が月曜日になると学校に行くのが苦しくなった。毎朝4時になるとびっしょり寝汗をかいて目が覚めた。
妻の励ましがなかったら、心が折れてしまっていたに違いない。
ぼくはこの第二辰巳小学校で働き盛りの10年を過ごした。そして有楽町線の辰巳駅が開業すると同時に港区の学校に転勤することになった。