【初心者歓迎】俳句フォトの会 会員申込はこちら

雨粒を纏ひて萩の溢れをり

小山正見

雨の中の萩は、一層風情を増すように思える。葉に雨粒が丸く浮かんでいる。
朝起きたら、一面に萩がこぼれ無数の花が散っていた。
芭蕉の「奥のほそ道」に

一つ家に遊女も寝たり萩と月

がある。市振という宿で遊女に「旅の道連れにしてくれないか」と頼まれる有名な場面だ。この句については、芭蕉の創作ではないかという説が有力である。いかにも出来すぎているからだろう。その証拠は同行した曾良の日記には一言も触れられていないということらしい。俳句は全て事実というわけでは無さそうだ。それにしても上手い。
萩が出てくることで、遊女の哀しさがほのかに感じられる。
「萩の花」はただ無心に咲いているだけだが、日本人にはそのこぼれる様子に哀愁を感じるようだ。
満開の桜やチューリップも美しいが、それ以上に花の散り際に心を動かされるのが日本人だ。
「花吹雪」や「花筏」「銀杏散る」「落椿」など散り際を表す季語があることもその証左だろう。
平家物語、義経、楠木正成、豊臣の滅亡、西郷隆盛etc
成功したものと、同じくらい、いやそれ以上に取り上げられ愛されてきたのが敗者、亡びた者である。それは日本人の優しさの原点なのかもしれない。
好きな萩の句をいくつか挙げてみる。

行き行きてたふれふすとも萩の原 曾良
萩咲いて家賃五円の家に住む 正岡子規
山萩のさびしき方へみな歩く  古舘曹人