【初心者歓迎】俳句フォトの会 会員申込はこちら

季語梅雨

(つゆ)[夏]

六月から七月にかけて降り続く長雨の時期。

言い換え(傍題):梅雨深し、荒梅雨

関連する言葉:梅雨兆す、梅雨近し、梅雨間近

この季語の俳句フォト:16句

← 俳句フォト歳時記へ

俳句フォトエッセイ

不純とはいつたい何か梅雨深む

御徒町にある「不純喫茶」については、【銭湯紀行】その15で若干触れた。奇妙奇天烈で何となく「反道徳」的な匂いがする。そして、そこに魅力がある。すぐ思い出すのが「不純異性交友」という言葉だ。大人が未成年に対して性的な交際をすることは、青少年保護条例などで禁じられている。当然の話だ。しかし、「不純異性交友」にはそれとは違ったニュアンスがある。未成年同士の少し危なっかしい交際を「そんなことはしてはいけません」というニュアンスで大人の立場から表現したものだろう。ぼく自身については、その方面には全く奥手だったので縁遠かった。

俳句フォトエッセイ

梅雨深し薪で焚きたる湯の温み

【銭湯紀行】その14奥沢松の湯ネットで調べたら、奥沢駅から2分の場所に銭湯があることがわかった。行ったら、シャッターがまだ閉まっていた。てっきり営業開始を午後3時と思い違いしていたのだ。営業開始は、3時20分。火曜日と水曜日は休みである。近くで時間を潰して、再度挑戦。フロントではなく、昔ながらの番台。靴箱の鍵がロッカーの鍵を兼ねている。ぼくの前にお客さんは一人だけ、そのうちおじいちゃんが一人、若い男が一人。天井も高く広い洗い場で出会ったのは、結局この3人だけだった。浴槽は3つ。それぞれ違ったジェットが楽しめる。横からの吹きつけるもの、足元から湧き上がるもの、渦を巻くように流れるもの。

俳句フォトエッセイ

梅雨空や恋人たちは手を繋ぐ

うっとうしい梅雨空が続いていたある日、駅に向かう人の列を見ながら妙なことを考えた。傘を差しながら手を繋いでいるカップルがいたからだ。普段でも普通に手を繋ぐカップルは多い。恋人同士や夫婦なのだろう。微笑ましく、ロマンチックな光景である。時には、歳とった老夫婦が手を繋いでいる風景を見ることもある。考えてみれば、男女(オス・メス)が手を繋ぐ動物はヒトだけではあるまいか。直立歩行で両手が自由に使えるからか。猿だって、毛繕いはするだろうが、手を繋ぐ猿なんて見たことがない。先日、YouTube「大花野チャンネル」の収録では、句集『大花野』の中の一句《手を繋ぎ祭の中を彷徨す》を取り上げた。

俳句フォトエッセイ

梅雨空に弾ける笑顔弾む声

武蔵小杉から元住吉の間に気になるお菓子屋さんがあった。「おかし工房しいの実」とかわいらしい看板が下がっている。先日、運営母体であるしいのみ会の「地域交流カフェ」の集いがあった。知ったのは、ここが知的障害者の人たちの就労を支える作業所だということだ。しいの実会は作業の中心をお菓子作りに置いている。シフォンケーキから始まって、クッキーやパン、和の素材の商品化にも力を入れている。収益は工賃としてメンバーに還元されるという。参加して驚いたのは、メンバーの礼儀正しさだ。言葉遣いやお菓子やコーヒーを運ぶ所作の一つ一つが実に丁寧なのだ。明るい声が響く。

俳句フォトエッセイ

梅雨近し寝て寝て寝て寝て更に寝て

どうやら体がだるいのはぼくだけではなさそうだ。みんな寝ている。ここはどこだと思う?実は高輪ゲートウェイなのである。住民アンケートを無視して、JRが独断で決めたという駅名だ。操車場を削り、常識を覆した新しい街を作ろうという意欲を一方では感じる。駅も現代的だが、改札口を出るとすぐ前に高輪ゲートウェイシティが広がっている。目の前で自動運転の自動車の試乗会が行われている。テスラの展示場もある。その脇のビルの間を北に進むとあった。5階建てほどの変わったビルだ。植物の螺旋階段がビルの周りを取り巻いている。高輪ゲートウェイの駅もそうだが、今をときめく建築家隈研吾が深く関わっている。

俳句フォトエッセイ

荒梅雨の路地の裏なる傘傾げ

「七の会」。何年ぶりだろう。前回がいつだったのか思い出せない。コロナの前だったことは確かだ。「七の会」とは、校長任用前研修第七班のメンバーの親交会の名称である。つまり、同期会なのだ。何の工夫もない名前だが、思い出は深い。地域も年齢も異なる6人だったが、毎年のように集まり、情報交換をしてきた。会場は新宿の路地の奥の居酒屋だ。メンバーの一人T先生は八丈島の小学校の校長になった。あっという間に島に溶け込み、生き生きと島での優雅な生活を話してくれた。メンバー全員で八丈島の彼の学校を訪ねたこともある。アガパンサスという花の名を初めて知った。

俳句フォトエッセイ

FADOの音の物悲しさや戻り梅雨

昨晩は猛烈な雨だった。一瞬にして梅雨空が戻ってきた。ところで、FADOという音楽をご存知のだろうか。10年以上前のことだが、ちあきなおみに魅せられ時期があった。図書館でちあきなおみのCDを全部借りて聴いた。その中に「待夢」というアルバムがあった。これがFADOのアルバムだった。「霧笛」や「秘恋」などの楽曲は、ぼくの胸に深く入り込んできた。何度繰り返して聴いたかわからないほどだ。演歌以上に演歌だと感じた。FADOは、元々ポルトガルの伝統歌謡である。FADOは、ポルトガル語で「運命」を表す言葉らしい。哀調を帯びた曲調にぼくが反応してのだろう。

俳句フォトエッセイ

地下通路煌々として梅雨湿り

屋根を打つ雨の音で朝4時に目が覚めた。雨漏りがないか気になった。もう一度寝たら、寝過ごしてしまった。今日は、立川国際高校附属小学校に授業に行く。今年で4年目だ。この学校は面白い。4年前は、1年生しかいなかった。年に1学年ずつ増えていき、今年は4年生までが在籍している。慌てて家を出る。どうにか間に合いそうだ。活気のある2年生だった。60分で20句も30句も詠む子がいて舌を巻いた。理解力が半端ない。最後に一番気に入った俳句を選び清書するのだが、どの子も自分の力で選ぶことができる。これにも感心した。最近は、自分で「選ぶ」ことのできない子が増えている。

俳句フォトエッセイ

気に入りの本を持ち寄る梅雨の夜

もう一年以上前になるだろうか。イケメンの青年が感泣亭を訪ねてきた。「読書会をしたいのですが、会場を貸してくれませんか」今時、奇特な青年がいるものだ。それから毎月一回土曜日の夜に「読書会」が始まった。ルールは簡単である。参加者が自分の推薦する本を持ち寄り、それについて代わりばんこに語る。スルーして終ることもあるし、議論になることもある。ぼくには、このやり方は新鮮だった。読書は一人でするものと長い間思ってきたからだ。時に人に読んだ本を薦めることあったが、こうして皆で持ち寄ってその話をするという習慣はなかった。梅雨に入ったこの夜、急に参加できない人もいていつもより少人数だった。

俳句フォトエッセイ

梅雨空を裂きて全国交流会

新型コロナウイルス感染症の拡大という悲劇がなければ、これほどリモートの活用は広がらなかったであろう。「全国学校俳句指導者交流会」を先日リモートで実施した。主催は日本学校俳句研究会である。参加者は全国から約35名。いずれも各地の学校や地域で子どもの俳句指導の中心になって関わってる面々である。関東だけでなく、鹿児島や島根、京都、大阪などからも参加者があった。顔を合わせたこと、そのことそのものが画期的だ。報告者は、東京都葛飾区の植木先生、大分県大分市の金澤先生、東京都江東区の吉田先生、岐阜県大垣市の高木先生、そして埼玉県狭山緑陰高校定時制の山本先生の5人にお願いした。