俳句フォトエッセイ2026.07.25梅雨空や恋人たちは手を繋ぐ小山正見うっとうしい梅雨空が続いていたある日、駅に向かう人の列を見ながら妙なことを考えた。傘を差しながら手を繋いでいるカップルがいたからだ。普段でも普通に手を繋ぐカップルは多い。恋人同士や夫婦なのだろう。微笑ましく、ロマンチックな光景である。時には、歳とった老夫婦が手を繋いでいる風景を見ることもある。考えてみれば、男女(オス・メス)が手を繋ぐ動物はヒトだけではあるまいか。直立歩行で両手が自由に使えるからか。猿だって、毛繕いはするだろうが、手を繋ぐ猿なんて見たことがない。先日、YouTube「大花野チャンネル」の収録では、句集『大花野』の中の一句《手を繋ぎ祭の中を彷徨す》を取り上げた。ぼくとしては、祭りの群衆の中で手を離して離れ離れになったら大変だから、その不安から妻の手を握っていたわけだが、これが外からは「仲良く、ロマンチック」に見えるわけだ。その解釈を聞かされて、最初は「何言っているの」と鼻にもかけなかったのだが、そのうち、「その通りかもしれない」という気になってきた。ぼくは、長い結婚生活の間、二人で手を繋いで歩いたという記憶はほとんどない。手を繋ぐようになったのは妻が病気を発症してからだ。やむを得ず手を繋いだのだが、嫌ではなかった。妻の手が柔らかく気持ちがよかったし、「妻を守っている」という 誇らしい気分もどこかにあったかもしれない。祭りの群衆の中では余計力を込めて握っていたであろう。もしかしたら、ロマンチックとはこういうことなのかもしれないと思った。そこで改めて恋人たちの話に戻ろう。逆に考えればロマンチックの裏には無意識の不安が働いていると言えなくはないか。「この人がどっかに行ったら困る」「ぼくのところに繋ぎ止めておきたい」そんな気持ちがどこかにあるのかもしれない。ロマンチックと不安に関する話である。ぼくは、時々変なことを考える。
うっとうしい梅雨空が続いていたある日、駅に向かう人の列を見ながら妙なことを考えた。
傘を差しながら手を繋いでいるカップルがいたからだ。普段でも普通に手を繋ぐカップルは多い。恋人同士や夫婦なのだろう。微笑ましく、ロマンチックな光景である。
時には、歳とった老夫婦が手を繋いでいる風景を見ることもある。
考えてみれば、男女(オス・メス)が手を繋ぐ動物はヒトだけではあるまいか。直立歩行で両手が自由に使えるからか。猿だって、毛繕いはするだろうが、手を繋ぐ猿なんて見たことがない。
先日、YouTube「大花野チャンネル」の収録では、句集『大花野』の中の一句《手を繋ぎ祭の中を彷徨す》を取り上げた。
ぼくとしては、祭りの群衆の中で手を離して離れ離れになったら大変だから、その不安から妻の手を握っていたわけだが、これが外からは「仲良く、ロマンチック」に見えるわけだ。
その解釈を聞かされて、最初は「何言っているの」と鼻にもかけなかったのだが、そのうち、「その通りかもしれない」という気になってきた。ぼくは、長い結婚生活の間、二人で手を繋いで歩いたという記憶はほとんどない。手を繋ぐようになったのは妻が病気を発症してからだ。やむを得ず手を繋いだのだが、嫌ではなかった。妻の手が柔らかく気持ちがよかったし、「妻を守っている」という 誇らしい気分もどこかにあったかもしれない。祭りの群衆の中では余計力を込めて握っていたであろう。
もしかしたら、ロマンチックとはこういうことなのかもしれないと思った。
そこで改めて恋人たちの話に戻ろう。逆に考えればロマンチックの裏には無意識の不安が働いていると言えなくはないか。
「この人がどっかに行ったら困る」「ぼくのところに繋ぎ止めておきたい」そんな気持ちがどこかにあるのかもしれない。
ロマンチックと不安に関する話である。ぼくは、時々変なことを考える。