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久しぶり

俳句フォトエッセイ

爺婆のカップルばかり稲の秋

寺家ふるさと村のレストラン「寺家乃鰻寮」にいる。献立は、鰻が中心だが、天ぷらや蕎麦もある。この日のサービスランチははまちの漬け丼だった。鰻重は流石に高いので、その半分ほどの値段の「鰻丼」を食べることにした。久しぶりの鰻だ。昼時とはいえ、バス停からも離れているのに、次々に客が入ってくる。その客がほぼ例外なく、年配のカップルなのだ。平日の昼間にこうやってデートを楽しんでいる年配の仲の良い夫婦もそれなりにいるのだ。なんだかほっこりした気分になる。9月20日(日)に俳句フォトの会の吟行を「寺家ふるさと村」で実施することになっている。この日は、その実地踏査というわけだ。

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新涼や新聞記事のアレやコレ

最近は新聞の購読者が大きく減っているという。確かに自分の周りを見ても新聞をとっている人の方が少ない。ぼくが教員として現役だった頃は、「明日は習字があるから新聞紙を持ってくるように」と何のためらいもなく、子どもたちに指示していた。今はとてもそんなことは言えないだろう。そういう自分にしても、新聞をとっているとはいえ、読まない日の方が多くなった。ネットやテレビのニュースで大体のことはわかるからだ。久しぶりに新聞をじっくり読んだ。読んだというより、眺めたという感じだろうか。すると、妙な記事に目が行く。まず目についたのは「郵便維持へ縮減案0-配達減らしポスト削減」という記事だ。

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曝書して父の書きたるラブレター

母が父からのラブレターをとっていたことは知っていた。小山正孝研究という立場で言えば、『感泣亭秋報』に取り上げるべきテーマだった。資料として大きな価値があることは確かだ。しかし、あまりにも細かな字で書かれているために読み取れなかった。ぼく自身が白内障だったせいもある。誰かに読んでもらえばよかったのだが、その時は気が付かなかった。今朝、久しぶりに取り出して読んでみたら読める。白内障の手術を済ませたということもあるが、朝の早い時間だとまだ目が疲れていないからだろう。そこで、少しずつできる範囲で書き起こすことに決めた。順不同だが、最初は結婚6年目に書かれた手紙だ。

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幽霊にまみえし納涼歌舞伎かな

都政新報8/18付「暮らしを楽しむ俳句フォト」44友人から誘いがあり、二つ返事で歌舞伎座に向かった。「牡丹灯籠」の一幕見だ。八月の歌舞伎座は納涼歌舞伎で怪談物がよくかかる。歌舞伎座は久しぶりだ。若い頃はよく観に行ったが、改築されてからは初めてかもしれない。改築前の一幕見は当日券のみで列に並ばなければならなかった。今は当日券もあるが、前日から予約ができるらしい。「牡丹灯籠」は、三遊亭圓朝の人情噺が元になっている。死んでも恋する女の執念と金や色に迷う人間の欲を描いた話だ。ぼくが観たのは、第二場。演じる役者は若手が中心だが、幸四郎が三遊亭圓朝など二役を演じている。

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蝉時雨緑の中の九品仏

午前中は俳句の会だったが、午後は空いた。すると、家の中に留まっている気にならない。いつもなら、お気に入りのカフェに出かけるのだが、夏休みらしく閉店している。あてもなく自由が丘で降りた。駅前に建築中のビルは開店までまだ2、3か月かかりそうだ。九品仏に行こうと思ったのは、歩き始めてからだ。父の散歩もきっとこんな感じだったのだろうと思った。母親に「どこにいくの?」と聞かれ、「自分にだってわかんないんだ」と答えたという。道道には、瀟洒な住宅が並ぶ。アウディやクーパーミニなどの車が停めてある。所々に、これまた洒落た店もある。美容室だったり、ブティックだったりする。久しぶりの九品仏浄信寺である。

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「謹呈」の宋朝体の涼しさよ

午前中は、病院で検査、そして午後は友人と会う約束をしていた。朝になって、その友人から電話がかかってきた。「急に仕事が入ったから、会うのはまた今度にしてくれないか」楽しみにしていたのに、仕方がない。ポカンと時間が空いた。貧乏性のせいか、予定表に時間が空くと何か用事を入れるのが癖になっている。だからいつも「時間がない」ということになる。そう考えると、空いたこの時間は「何をしていてもよい」、神様からの贈り物のようなものだ。ワクワクして何をしようか考えた。「そうだ」と思いついたのは、髙田正子先生から頂いた句集『紅藍』を読むことだった。1ヶ月以上「読まなくちゃ」と思いながら手を出せなかった本だ。

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絹の湯にほどける白や迎へ梅雨

電車に乗ったら、初老の紳士に席を譲られた。「ありがとう」と礼を言って腰かけたが、微妙に複雑な気分だった。大井町で降りることにした。末広湯という銭湯があると知っていたからだ。そこへ向かって歩き始めたら、目の前のビルに「おふろの王様」という看板が現れた。途端に末広湯まで歩くのが面倒になった。「おふろの王様」はスーパー銭湯だ。迷ったが、久しぶりのスーパー銭湯も悪くない。入浴料は、1500円。駅近にしては安い。タオルを借りることを考えれば、銭湯の約2倍だが、サウナにも入れて、休憩室も完備しているからこれなら悪くない。リストバンドをして、風呂に入る。人が多いことにまずびっくりする。

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花の雨母の遺影と向かひ合ふ

母・常子は2014年3月23日に亡くなった。今年で13回忌のはずである。本来なら、お坊さんを呼び一族が集まって偲ぶところだろうが、我が家では何もしない。だいたい、戒名も位牌もないのだ。父からしてそうだった。その代わり、忌み日に「感泣亭例会」を開き、「感泣亭秋報」を発行してきた。それも18冊で終刊とした。母の遺影は卒寿のお祝いに自由が丘のレストランで家族で撮った写真からとった。穏やかな顔をしている。母は、父が亡くなってから、思い出を圓子哲雄さんが主宰していた『朔』に寄稿し続けた。この文章を妻の邦子がまとめ『主人は留守、しかし・・・』という本にまとめた。

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春の夜の天麩羅定食せいろ付き

元住吉にはラーメン屋が少なくても10軒以上ある。栄枯盛衰も激しい。知らぬ間に新しい店ができ、知らないうちに閉店している。ラーメン激戦区になったのだ。それと比べて日本蕎麦屋は2軒しかない。両方とも昔からある店だ。ブレーメン通りの富士見庵と駅の反対側のオズ通りにあるやぶ久である。ぼくが好きなのはやぶ久だ。暖簾が格好いいし、竹を配した店内の雰囲気がいいからだ。妻と共に暮らしていた時は、よく2人で来た。妻はとろろ蕎麦を頼むことが多かった。ぼくはいつも野菜天丼だった。今夜は久しぶりのやぶ久。お品書きを眺め、野菜の天麩羅定食に決めた。しばらくしてお膳が運ばれてきた。