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乱れ萩しとどの雨の金曜日

小山正見

今日は、江東区の某小学校の俳句研修会に伺う予定でいたが、台風の影響で延期になった旨、連絡があった。
写真は、我が家感泣亭の前に繁茂している萩である。
この萩は、句集『大花野』の句

萩咲かせ昔の家に戻しけり

の萩である。
この場所には、昔から萩が咲き乱れていた。その萩がスペースの工事で途絶えてしまったのを復活させたのである。
昔の萩は、坂口昌明さんが長野からわざわざ持ってきてくれたものだった。そして今日9月5日は、その坂口さんの命日である。
坂口さんは、猛烈な知識の持ち主で、想像を絶するほどの集中力を有している方だった。
坂口さんの活動分野は、詩作や文芸評論に留まらずモーツアルトの「魔笛」の研究から「真珠」の文化史まで幅広い。その源には民俗学的な関心があり、晩年は「お岩木様」の信仰史に取り組んだ。誰もやったことがない仕事だ。その一端が岩波書店の「図書」の巻頭に取り上げられ、本が出る予定だった。
「さて、これから」
という時だった。坂口さんの急逝の報が届いた。社会は、どんなに優秀でも死んだ人間にはほとんど目を向けない。不条理としか言いようがない。
坂口昌明さんは、小山正孝や息子のぼくにとっても恩人であった。
1987年には「一詩人の追求 ー小山正孝の場合ー」を刊行している。
あとがきを読んでいたら、最後に「銀座 松崎煎餅にて」とあった。彼も喫茶店派であったのだろうか。
正孝の死後、ほぼ一年ほどの間に『感泣旅行覚え書』『詩人薄明』『未刊ソネット集』『小説集 稚児が淵』の四冊の正孝の遺稿集をまとめ、刊行して下さった。
特に『未刊ソネット集』は、押入の奥から大量に出てきた正孝の詩篇を整理し、解読し、ファイル化するところから始められたのだが、気が遠くなるほどの作業だ。彼は、正孝のために人生の大切な時間を費やしてくれた。
正孝を顕彰する雑誌「感泣亭秋報」は十八号まで続いたが、その第一号は坂口さんが作り、制作費も負担して下さった。そして、
「次からは君がやれよ」
とバトンを渡していただいた。終刊まで秋報の装丁も版組も坂口さんがデザインしてもくれたままであった。坂口さんには足を向けて眠れない。
今年も溢れるほどの萩が咲いてくれることを願っている。