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子供たち

俳句フォトエッセイ

この奥は交流センター処暑の風

二十四節気にいう「処暑」まであと僅かである。今週は暑さは戻ってきたが、風には秋の気配が漂っている。このまま一直線で秋になるとは思えないが、昔の夏はこんな感じだったのかもしれない。写真は、国際交流センターの庭である。木が繁り緑に覆われている。ぼくが子供の時、この場所には法政大学のグラウンドがあった。ここで軟式の野球の試合をしたことが浮かぶ。といっても正式な野球のチームではない。近所の子供たちが勝手に集まって作ったチームだ。監督もコーチもいなかった。ぼくのポジションはキャッチャーだった。運動神経が良くないのに、ぼくは野球をするとかならずキャッチャーをやらされた。

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水の町水の都の青葉陰

この日も沼津の加藤学園で午後の授業がある。少し寝坊し駅に向かった。東横線が動いていない。いつも空いているホームに人が溢れている。これには、少し焦った。新横浜で切符を買うにも時間がかかる。ジパング倶楽部の会員で割引になるのはいいのだが、いちいち列に並んで買わなければならない。列の長さにうんざりする。時刻表を見る。のぞみは何分おきかにじゃんじゃん来るのに対して、三島に停まるこだまは、30分に1本しかない。こんなことにイライラしている自分にイライラしている自分がおかしかった。新幹線に乗ってしまえば、三島はあっという間だ。思い立って三島で降りた。駅からすぐそばの鰻屋に見覚えがあった。

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新緑の下なる時間つぶしかな

若干暑いが、それでも5月らしい気持ち良い天気の日が続いている。某小学校での俳句の授業が終わってから、妻の入居しているグループホームに向かった。このグループホームにお世話になってもう5年半を過ぎる。幸せなのは、良いスタッフに恵まれたことだ。病気の進行は仕方がないし、人も選べない。入居に当たってたくさんのホームを見学・比較したわけでもない。運としか言いようがないが、明るくて穏やかで面倒見が良いスタッフがこのホームには大勢いた。しかも、そのスタッフが継続して勤務してくれている。有難いことだと思わざるを得ない。もう一つ良いことがあった。面会がほとんど制限されなかったことだ。

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意味もなくボール持つ手や春の午後

校庭に脚を踏み入れると、子供たちの甲高い声が響いていた。もう、新学期が始まったのだ。学童保育の子供たちだろう。無邪気な元気さが微笑ましい。駆け回るのが楽しくてたまらないという感じだ。地元の小学校に俳句の授業の打ち合わせで訪れた。桜の木に緑が増え始めたと思ったら、もう花水木がしっかり花をつけている。銀杏が小さな葉を無数につけている。打ち合わせの時間まで、少し余裕があったので、遊んでいる子供たちを眺めていたら、一人の男の子が、ぼくのそばに来て「誰?」と聞いてから、気がついたように「あっ、俳句の先生だ」と言う。去年教えた子がぼくの顔を覚えていたのだろう。「ねぇ、俳句作って!」

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春の虹俳句授業のアレやコレ

年度末が近い。今年の俳句授業も終盤にかかっている。今日は千代田区のK小学校、先日は国分寺市のR小学校に赴いた。(写真は本文と関係ありません)俳句教育推進員として勤務し始めた時からもう16年だ。一番多い時には、年間に500時間以上授業したこともある。そのほとんどの授業で子供たちは楽しんでくれた。途中経過が上手くいかなくても、最後の句会が子供たちに緊張感と楽しみを与えた。俳句の短さと句会の楽しさが子供たちを惹きつける大きな要因だったと思う。話をある程度聞いてくれる学級なら俳句の授業は例外なく成功する。しかし、上手くいった授業は忘れてしまう。記憶に残るのは、苦しかった授業での悪戦苦闘である。

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幼子の楽園となる冬日向

先日、夕暮れの子供たちの自転車が群れている写真を撮ったのと同じ公園である。今日は保育園の幼児が公園内を駆け回っている。ブランコに興じている子もいれば、滑り台に夢中になっている子もいる。少子化、少子化というが結構子供は、いるではないかと錯覚してしまう。昔は設置基準が厳しく、園庭がないと保育園は認められないという規制があった。しかし、誰もが子供を保育園に預ける時代となり、保育園の数は激増した。マンションやビルの一室でも保育園が成り立つようになった。その結果、公園を運動場代わりに活用するようになったということだろう。共働きしないと暮らせない時代。これは当然の施策だろう。