俳句フォトエッセイ2025.05.05新緑の田園調布の並木道小山正見久しぶりの田園調布だ。西口の銀杏並木の新緑が眩しい。ぼくは田園調布を歩くのが好きだ。緑に囲まれた閑静な住宅街を散歩すると心が落ち着く。その理由の一つは、ぼくが田園調布小学校の卒業生だからだろう。母親は今から考えるとかなりの教育ママだった。本当は学芸大学の附属小学校に入れたかったが試験で落ちた。抽選とぼくは聞いていたが、眉唾だ。父親が青山師範の附属を出ているので、それに倣いたかったのだろう。「寄留」と言っていたが、田園調布に住んでいた父親の親友Mの家に住んでいることにして、ぼくは毎日東横線に乗って田園調布小学校に通った。クラスメイトの家の庭はゴムボールでの野球ができるほど広かった。その時、ぼくは自分の小さな家には友達を招けないと強く思った。バイオリンの先生のところに連れて行かれたこともある。ぼくは拒否したのだろう。その後の記憶はない。音楽は今でも苦手だ。学校の授業では、先生の目を掻い潜って遊ぶことしか考えなかった。貸本屋で借りたいかがわしい本を学校に持ち込み、母は担任の先生に呼び出された。母は、ぼくが小学生の頃から自宅で英語塾を始め40年続け、家計を支えた。ぼくも教えられたに違いないが、ぼくの一番の苦手教科は英語だった。無意識に拒否していたのだろう。誰でもそうなのかもしれないが、ぼくも母がさせたいとことを拒否することによって成長したのかもしれない。母親は忸怩たる思いだったのだろうが、ぼくにとって幸いだったのは「拒否」することを「拒否」されなかったことだ。もしかしたら、それが田園調布を好きな理由なのかもしれない。
久しぶりの田園調布だ。西口の銀杏並木の新緑が眩しい。ぼくは田園調布を歩くのが好きだ。緑に囲まれた閑静な住宅街を散歩すると心が落ち着く。
その理由の一つは、ぼくが田園調布小学校の卒業生だからだろう。
母親は今から考えるとかなりの教育ママだった。本当は学芸大学の附属小学校に入れたかったが試験で落ちた。抽選とぼくは聞いていたが、眉唾だ。
父親が青山師範の附属を出ているので、それに倣いたかったのだろう。
「寄留」と言っていたが、田園調布に住んでいた父親の親友Mの家に住んでいることにして、ぼくは毎日東横線に乗って田園調布小学校に通った。
クラスメイトの家の庭はゴムボールでの野球ができるほど広かった。
その時、ぼくは自分の小さな家には友達を招けないと強く思った。
バイオリンの先生のところに連れて行かれたこともある。ぼくは拒否したのだろう。その後の記憶はない。
音楽は今でも苦手だ。
学校の授業では、先生の目を掻い潜って遊ぶことしか考えなかった。
貸本屋で借りたいかがわしい本を学校に持ち込み、母は担任の先生に呼び出された。
母は、ぼくが小学生の頃から自宅で英語塾を始め40年続け、家計を支えた。
ぼくも教えられたに違いないが、ぼくの一番の苦手教科は英語だった。無意識に拒否していたのだろう。
誰でもそうなのかもしれないが、ぼくも母がさせたいとことを拒否することによって成長したのかもしれない。
母親は忸怩たる思いだったのだろうが、ぼくにとって幸いだったのは「拒否」することを「拒否」されなかったことだ。
もしかしたら、それが田園調布を好きな理由なのかもしれない。