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花の雨母の遺影と向かひ合ふ

小山正見

母・常子は2014年3月23日に亡くなった。今年で13回忌のはずである。
本来なら、お坊さんを呼び一族が集まって偲ぶところだろうが、我が家では何もしない。
だいたい、戒名も位牌もないのだ。父からしてそうだった。その代わり、忌み日に「感泣亭例会」を開き、「感泣亭秋報」を発行してきた。それも
18冊で終刊とした。

母の遺影は卒寿のお祝いに自由が丘のレストランで家族で撮った写真からとった。穏やかな顔をしている。
母は、父が亡くなってから、思い出を圓子哲雄さんが主宰していた『朔』に寄稿し続けた。この文章を妻の邦子がまとめ『主人は留守、しかし・・・』という本にまとめた。この本は小山正孝を知るための貴重な証言となっている。
母は94歳を迎える直前まで生き、その前年に原稿用紙数十枚にわたる小説を執筆している。「丸火鉢」という題で父と出会う前のことを書いている。ある新聞社の公募に応じているのだから驚く。

久しぶりに線香をあげ、何の気なしに、机の引き出しを開けた。
そこにあったのは、正孝の第一詩集『雪つぶて』の手書きの私家版だった。
さらに、正孝の絶筆となった詩「つばめ横丁雑記抄」の手書きのノートまであった。
父はこの詩の最後に

狭い煉瓦路を
迷って飛んでいるのは
僕の魂か

と記した3日後に倒れ、そのまま帰らぬ人となったのだ。

ぼくは、母に「お父さんのことをもっとちゃんとやりなさいよ」
と言われたような思いがした。