俳句フォトエッセイ2026.09.30秋の雲高層ビルや二辰小小山正見二辰小とは、江東区立第二辰巳小学校のことだ。先日俳句の研修会で久しぶりに訪れた。実は、ぼくは、30代のほとんどをこの学校で過ごした。二辰小は最近50周年を迎えたそうだが、ぼくが勤務したのは、10周年の頃。つまり40年も前のことだ。業平橋の自宅からバスを乗り継いで通勤した。豊洲の工場の間を通り、運河に架かった橋を越えると忽然と辰巳の都営の大団地が現れた。当時は僻地だったのだ。ある時雪が降り、バスが不通になった。その時は40分ほどかけて東西線の木場駅まで歩いた。今は深川ギャザリアになっている藤倉電線の工場のわびしい裸電球がいい思い出だ。今ではすっかり様変わりした。地下鉄有楽町線が通り、学校は駅から5分の超便利な学校になった。運河を挟んであった東京鉄鋼の工場の代わりに何棟も高層マンションが建ち、今は子供たちの大部分がここから来ている。当時のことを思い出してみる。ゴミ処理場が近かったので蝿が大量に発生し、教室の天井からハエとり紙をいくつも垂らしたこともあった。春、学校の脇の運河に、なぜか大量の秋刀魚が押し寄せたこともあった。バケツいっぱいの大漁だった。しかし、まずくて食べられる代物ではなかった。今は、東京辰巳アイスアリーナがあり、公園が整備されている高速道路の向こう側は当時は広大な何もないはらっぱだった。大きな凧を作り凧揚げに興じたこともあった。学校ものんびりしたものだった。教員のスポーツの盛んな学校で勤務時間が終わるか終わらないうちに体育館にネットが張られバドミントンが始まるのが常だった。バスケットもバレーボールも強く、区内の教職員対抗では何回も優勝していた。おかげでぼくは、バドミントンを覚え、パスケットが格闘技であることを知った。午後4時になると、囲碁好きの先生がぼくを教室に迎えに来た。「もう仕事はやめろよ。勤務時間は終わったぞ」校長先生も囲碁好きで校長室が碁会所に変わった時もあった。のどかな時代だったのかもしれない。先日、当時の教え子とSNSで繋がった。高校生の子供がいるお母さんになっていた。「先生の授業で、あの原っぱでヨモギを摘んで、ヨモギ団子を作って食べたのをよく覚えています。(^^)懐かしいなー!」とあった。この句の季語秋秋の雲あきのくも澄んだ秋空に浮かぶ雲。いわし雲やうろこ雲など。「秋の雲」の俳句フォトをもっと見る(2句)俳句フォト歳時記
二辰小とは、江東区立第二辰巳小学校のことだ。先日俳句の研修会で久しぶりに訪れた。実は、ぼくは、30代のほとんどをこの学校で過ごした。二辰小は最近50周年を迎えたそうだが、ぼくが勤務したのは、10周年の頃。つまり40年も前のことだ。
業平橋の自宅からバスを乗り継いで通勤した。豊洲の工場の間を通り、運河に架かった橋を越えると忽然と辰巳の都営の大団地が現れた。
当時は僻地だったのだ。ある時雪が降り、バスが不通になった。その時は40分ほどかけて東西線の木場駅まで歩いた。今は深川ギャザリアになっている藤倉電線の工場のわびしい裸電球がいい思い出だ。
今ではすっかり様変わりした。地下鉄有楽町線が通り、学校は駅から5分の超便利な学校になった。運河を挟んであった東京鉄鋼の工場の代わりに何棟も高層マンションが建ち、今は子供たちの大部分がここから来ている。
当時のことを思い出してみる。
ゴミ処理場が近かったので蝿が大量に発生し、教室の天井からハエとり紙をいくつも垂らしたこともあった。
春、学校の脇の運河に、なぜか大量の秋刀魚が押し寄せたこともあった。バケツいっぱいの大漁だった。しかし、まずくて食べられる代物ではなかった。
今は、東京辰巳アイスアリーナがあり、公園が整備されている高速道路の向こう側は当時は広大な何もないはらっぱだった。大きな凧を作り凧揚げに興じたこともあった。
学校ものんびりしたものだった。教員のスポーツの盛んな学校で勤務時間が終わるか終わらないうちに体育館にネットが張られバドミントンが始まるのが常だった。バスケットもバレーボールも強く、区内の教職員対抗では何回も優勝していた。
おかげでぼくは、バドミントンを覚え、パスケットが格闘技であることを知った。
午後4時になると、囲碁好きの先生がぼくを教室に迎えに来た。
「もう仕事はやめろよ。勤務時間は終わったぞ」
校長先生も囲碁好きで校長室が碁会所に変わった時もあった。
のどかな時代だったのかもしれない。
先日、当時の教え子とSNSで繋がった。高校生の子供がいるお母さんになっていた。
「先生の授業で、あの原っぱでヨモギを摘んで、ヨモギ団子を作って食べたのをよく覚えています。(^^)懐かしいなー!」
とあった。