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秋の薔薇古き駅舎の供のごと

小山正見

東急線田園調布の駅舎である。「駅舎だった」という方が正確だろう。東急線は今は地下ホームになっており、古いこの駅舎は今はモニュメントである。
大豪邸が立ち並ぶ田園調布をぼくは好きだ。
駅前の窓の大きなカフェで数時間を過ごし、田園調布の町を散策する。それは、時にはぼくの日課のようにさえなっている。。
特に夕暮れ時の田園調布の町は美しい。広い庭の奥の洒落た家屋の窓に灯が灯る。。絵本の中にいるような錯覚に陥る。
時には、住宅街の中にある画廊でひとときを過ごす。多摩川台公園まで足を伸ばし、台地から多摩川の流れを見下ろすこともある。
しかし、負け惜しみではないが、ここに住むのは大変だろうなとも思う。だいたいお店がない。自動販売機もなかなか見つからない。買い物はどうしているのかと心配になる。
近所付き合いなんかあるのだろうか。
家が広いのも一苦労だろう。掃除をするだけで疲れてしまわないか。庭の手入れはもっと大変だ。
ある人にそんな話をしたら
「お金持ちはものは届けてもらうし、人を雇って掃除や手入れをするから大丈夫なのよ」
と笑われた。そうかもしれないが、ぼくは元住吉の方が良い。
スーパーにもコーヒー屋にも2分で行けるし、隣のばあちゃんと毎日顔を合わせて世間から話の一つもできる。
父の正孝も田園調布を散歩している。
「夕方の田園調布」という警官とやりとりした詩である。この詩は前に紹介したのでここでは、「夕方の九品仏」という詩を紹介する。この詩の方がずっと小山正孝らしい。

夕方の九品仏   小山正孝

五月雨の降りしきる中
そびえ立つ九品仏浄真寺の大木
来てみると根方に二本の傘が幹の両側から見えた
斜めにつきささつてゐるかのやうだ
右側は男ものの大きいかうもり
左側からは色ものの小ぶりの傘がゆれてゐた
やがて若い男と女が現れてこちらの方に歩いてきた
僕は男の顔を僕の顔に変へ
女の顔を何十年か前の女の顔に変へ
着せかへ人形のやうにして
男の洋服を僕の洋服に
女の洋服をあの時の女の洋服に変へ
二人を大木の方へ押しもどした
大木の影に入つた僕は女を抱いてくちづけした
やはらかい五月雨のやうにねばつく
離れた所から十人目の観察者の僕の声がよびかけた
「もう少し傘を立てるやうにしてごらんなさい」
僕が傘を立てるやうにしてみせた
「それでやつと前と同じになつた」
僕は前といふのは何時の事かなと思つた
あの茅ぶきの屋根の頃のことだらうか
それとも着せかへる前のあの男女の時のことだらうか
境内の方々にひろい水たまりが出来てゐた
雨足は白くいよいよはげしくなつた
あの男と女はいまどこを歩いてゐることであらう
僕はひそかに考へた

正孝がこの詩を書いたのは今の僕と同じ歳の頃だった。
散歩するいうことは妄想を膨らませることである。
やはり、散歩は夕方にかぎるようだ。