昭和の日箪笥の奥に父の本
先日、箪笥を漁っていたら、奥から父正孝の詩集『雪つぶて』が出てきた。出版される前に手書きでまとめた詩集だ。この詩集は、ぼくの生まれる前、1946年6月に赤坂書店から刊行された。正孝の20代の集大成と言えよう。最後の詩は「夜」という題で、次のような詩である。
俳句フォトエッセイ先日、箪笥を漁っていたら、奥から父正孝の詩集『雪つぶて』が出てきた。出版される前に手書きでまとめた詩集だ。この詩集は、ぼくの生まれる前、1946年6月に赤坂書店から刊行された。正孝の20代の集大成と言えよう。最後の詩は「夜」という題で、次のような詩である。
俳句フォトエッセイAとSSのところには実名が入るのだが、今の時代なので伏字にする。これは、正岡子規の句漱石が来て虚子が来て大三十日のもじりである。日本学校俳句研究会の春の集いが江東区の猿江恩賜公園で行われた。講師はI先生。植物に詳しいことは昔から知っていたが、これほどとは思わなかった。たぐいまれなる知識が、愛情に裏付けられている。この日も、ハンカチの花を教えていただき、ヒマラヤ杉の薔薇のような松ぼっくりを見せていただいた。これだけの人は俳句界全体でも稀有の存在なのではないだろうか。A先生は研究会を結成する前からの仲間、わざわざ伊豆七島の新島から飛んできてくれた。SS先生は、この4月に教職についた新人。
俳句フォトエッセイ都政新報4/28付「暮らしを楽しむ俳句フォト」30いよいよゴールデンウィークである。物価高の影響か、今年は遠出を控えたミニ旅行が主流だと聞く。先日、目黒に出かけた。目黒には東京都庭園美術館があり、隣には広大な国立科学博物館附属自然教育園もある。目黒駅から歩くと、高速道路の向こう側は、すでに新緑の光に満ちている。中に入ると、都内とは思えないほど静かだ。奥に進むと鳥のさえずりだけが辺りに満ちている。駅の反対側、権之助坂を下り、目黒不動を過ぎた先には林試の森公園がある。住宅地の真ん中にありながら、ここも緑が深い。都内にはこうした緑が点在している。都心には、新宿御苑も北の丸公園もある。
俳句フォトエッセイ【銭湯紀行】その7横浜反町反町浴場/SPA反町恒例の鎌倉吟行の日であった。今回は英勝寺。英勝寺は、家康の側室、お勝の方を祀った尼寺である。花の寺として名高く、白藤の名所と言われている。黒髪の見上げる先の藤の白白藤のあはひあはひに空の青竹林がまた豊かだ。黒い皮を被ったままの筍が伸び放題だ。。囀りのすり抜けてゆく竹林竹林の竹の重なり五月闇英勝寺の次に浄光明寺に行く。観光客の姿はない。庭に大きな菩提樹がそびえ、山藤も見事だ。菩提樹の花咲く前の静寂(しじま)かな山藤の花の下なる暗さかな帰りに銭湯に寄ろうと考えた。残念ながら鎌倉駅の近くにはないようだ。東急東横線反町の駅前に銭湯があることがわかった。
俳句フォトエッセイ「ガチャガチャ」とはカプセルトイのことだ。ハンドルをがガチャガチャ回すと中の商品が出てくるので、「ガチャガチャ」と呼ばれるのだろう。我が家では殺虫剤のことを「しゅーしゅー」と呼んでいたことを思い出した。カプセルトイの歴史を辿ると、元々はアメリカが発祥の地で、ガムが出てくる子ども向けの装置だったらしい。それが日本に入ってきて、大進歩した。今では大人が夢中だ。元住吉に「ガチャガチャ」の店ができたことは、以前のエッセイで述べた。「カプセル楽局」。「薬局」だとばかり思っていた。間違えたのはぼくだけでなく、実際に処方箋を持って訪れた人もいるらしい。
俳句フォトエッセイ江東区の枝川から豊洲へ向かう道である。ぼくは川崎に移り住む以前、つまり14年前までこの近くのマンションに暮らしていた。地下鉄の豊洲駅からこの道をよく歩いた。まだ工場が残る暗い道だった。ぼくの歴史を遡るとこの道を初めて通ったのは45年前である。第二辰巳小学校への転勤が決まり、門前仲町からバスに乗った。当時はマンションなど影も形もなかった。橋を越えた左側には、日新製糖の工場があった。右手にあったのは石川島播磨の工場群だった。夜になると裸電球の街灯だけがポツンと灯っていた。工場群を過ぎると忽然と現れたのが第二辰巳小学校のある都営団地だった。この道をぼくは10年通った。
俳句フォトエッセイ実踏とは、実地踏査のことで、「遠足の実踏」などと使う。教師の業界言葉かもしれない。俳句フォトの会の5月例会は、5月17日(日)である。昨年の春は王禅寺を吟行した。秋は深川だった。句会場を感泣亭にした時、絶好な場…
俳句フォトエッセイ【銭湯紀行】その6神保町梅の湯神保町と言えば千代田区。そんな都会の真ん中にも銭湯はある。都営新宿線神保町駅の新宿寄りの改札口を出て、歩くことわずか2分。大通りから入った細い路地に目立たないようにある小さな銭湯である。浴槽は一つだが、その中に電気風呂、ボディジェット、ハイパージェットと3つのバリエーションが備わっている。壁絵もないシンプルな造りだが、ボディソープとシャンプーは備え付けられているのはありがたい。お湯の温度はおよそ40度だ。比較的ぬる目なので、いつまでも入っていられそうな心地よさだ。客は10人弱、年配の方が多いが、外国人が二人いた。一人の老人が、英語で彼らに話しかけ始めた。
俳句フォトエッセイ4月の下旬から5月の初旬にかけて降る雨を「穀雨」という。穀雨とは「穀物をうるおす雨」という意味である。この言葉自体は中国前漢時代の思想書、淮南子の「雨生百穀雨」(うりゅうひゃっこく)に由来するとされている。雨こそが命の源泉であるという思想がそこにある。アスファルトに覆われている東京に暮らしていると、穀雨という実感は薄い。「ああ、また雨か」と憂鬱な気持ちになったりするばかりだ。しかし、一歩家の外に出てみると、新緑が美しい。けやきの葉はぐんぐんと緑を増し、いちょうの可愛らしい葉が日に日に成長していく。つつじの赤が一挙にその数を増し、街を彩り始める。これも「穀雨」の恵みに違いない。
俳句フォトエッセイ感泣亭で「立原道造を語ろう」という会が行われた。建築家でもあった立原の描いた図面や別所沼に建てられたヒヤシンスハウスなどが話題の中心になった。立原道造は、言葉の美しさと独特の抒情を持つ詩人で24歳で夭折した。