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俳句フォトエッセイ

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一風呂を浴び夜桜の目黒川

【銭湯紀行その4】中目黒光明泉実は、この銭湯に行くのは二回目である。まだ、夜桜見物もできそうだ。そんな誘惑にもかられて、中目黒の光明泉に向かった。駅を降り、横断歩道を渡り、目黒川の橋を過ぎるとすぐ光明泉だ。駅から歩いて二、三分だろうか。警察官が何人も出て、交通整理にあたっていた。光明泉は、階段を上がった二階にある。写真にあるように、壁の絵がお洒落だ。脱衣所も広くはない。ロッカーは四十ほど。清潔感に満ちている。浴槽は37.5°Cの炭酸泉と42°Cほどのラジウム湯の二つだ。それに別料金のサウナと水風呂がある。一週おきに男湯と女湯がチェンジする。片方には、露天風呂が付いているからだ。炭酸泉に浸る。

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散歩道花の塵にもある風情

東京の桜の季節は終わりに近づいている。各地で行われていた桜まつりも無事に幕を閉じたことだろう。開花から約3週間。桜は様々なドラマを我々に見せてくれた。咲きはじめは「初桜」。初々しく可憐だ。それが満開、花盛りとなるにつれて艶やかになる。《花の雲鐘は上野か浅草か》は芭蕉の有名な句だが、満開の桜は街の様相まで一変させてしまう力がある。「花冷」という寒さもこの美しさを引き立てるスパイスのようなものだろう。桜の不思議は、散り際にもドラマがあることだ。「桜吹雪」と言えば時代劇の遠山の金さんを思い出す人もいるかもしれない。高浜虚子の弟子だった高野素十は《空をゆく一かたまりの花吹雪》と詠んだ。

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まだまだと田園調布の桜かな

今日は一転して雨模様だが、昨日は雲一つない青空に桜が映えていた。花冷えのおかげで、桜の花の命はわずかに延びているようだ。それにしても、田園調布駅前の桜は勢いが良い。すでに枝の最上部まで花開いている。上野公園の桜では、そのボリュームが20年前と比べると30パーセントから40パーセントも減っているというが、確かに昔の桜はどこでも視界を埋め尽くすほどの花に満ちていた気がする。ご存知のように、ソメイヨシノはクローンである。自然の山桜よりずっと短命だ。弘前城の桜はりんご栽培の技術を使い、剪定を適切にすることで、桜の寿命を延ばしている。しかし、それも時間の問題だろう。

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花冷の我を迎ふる我が家かな

夜になるとまだ寒い。その上、冷たい雨だ。駅から家までの距離が遠く感じる。ようやく我が家だ。鍵を開けて中に入ると暖かい。寒さからやっと解放された気分だ。母が亡くなってから、ぼくはこの家に住んでいる。丸12年ということになる。表には、小山正孝の表札がまだある。今の家が建ったのは、今から60年前だ。我が家があるこの場所は、同潤会の分譲住宅だった。6畳、4畳半、3畳に狭い台所が付いていた。老朽化が進み、引越しも検討したようだが、結局家を建て直すことを選んだ。設計を依頼したのは、建築家の生田勉氏。

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いにしへの百マス計算目貼り剥ぐ

少し前の話だが、俳句の授業である学校を訪れた。「今お客様がいるのですが、ご一緒でよろしいですか?」校長室の先客の名前を聞いて、驚いた。陰山英男(敬称略)だった。陰山が注目を集めたのは兵庫県山口小学校での実践だ。百マス計算に代表される基礎力重視の教育だった。ちょうど、子どもの学力低下が危惧されていた頃である。時代の要請にピッタリと合う実践だったのかもしれない。その後陰山は公募に応じ、尾道市立土堂小学校の校長に赴任、辣腕を振るう。「ここでこの先生に出会えるとは!」よく知られたスローガン「早寝、早起き、朝ごはん」も元を正せば陰山の実践に由来している。

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東京を一気に埋める桜かな

東京の開花は3月19日だった。それから10日ほど、今や桜は満開である。東京の桜の名所は至る所にある。上野公園はもちろん、千鳥ヶ淵の桜も見事だ。目黒川の夜桜は幻想的とも思える。しかし、いかんせん人が多すぎる。ござを敷いての花見など叶うべくもなく、立ち止まることすら難しい場所もあ。昔、日本の桜は山桜だった。種類も多く、咲く期間も幅があったが、それを劇的に変えたのがソメイヨシノである。染井村(現北区駒込周辺)で作られたというこの品種は接ぎ木や挿し木によって増える。つまり、皆同じ一つの命なのである。ソメイヨシノは日本人の桜のイメージにぴったりだった。

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ライオンのおやつとは何花の雨

気の置けない友人から「読んでみろ」と言われた。小川糸著の『ライオンのおやつ』という本だ。以前にも誰かから勧められ、メルカリで古本を入れていたことを思い出した。読み始めて、すぐ眠気が覚めた。この本が余命数ヶ月を宣告された人の死に向かう物語と知ったからだ。主人公は海野雫、33歳。癌の治療を続けていたが、医者から余命を宣告され、瀬戸内海のある島のホスピスで最期を迎えることを決意する。物語は、雫がこの島に渡る場面から始まる。ライオンの家というのが、このホスピスの名前。マドンナと自称する女性が施設長だ。奇跡は起きない。

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花の昼五山第一建長寺

2日前の浅草の桜は満開に程遠かった。そんなわけで、鎌倉の桜にもあまり期待していなかった。バスの中から見た若宮小路の桜もさほどでない。だから度肝を抜かれた。見事な桜だ。建長寺の山門をバックに咲き満ちている。取り敢えず一礼をして春の寺あまりの見事さに開いた口が閉まらない。見ると道端に君が代で歌われるさざれ石がある。見たものを何でも句に詠んでいく。枝垂れたる桜の下のさざれ石満開と見えた桜には、よく見るとまだまだ蕾が残っている。満開もまだまだ咲くといふ桜目を周囲にやる。建長寺にはいろいろな建物があり、それぞれの道が続いている。専門道場と書かれた道の奥には桜の木は一本もない。

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総身を浸す黒き湯菜種梅雨

銭湯紀行その2麻布黒美水温泉竹の湯麻布十番温泉に行きたいと思ったが、調べると遠の昔に閉店していた。代わりに行ったのが「麻布黒美水温泉竹の湯」だ。地下鉄麻布十番の1番出口から約5分。遠くはないが、入り組んだ住宅地の中にあり、少し分かりにくい。近くにはボルダリングの練習場もある。マンションの一階が竹の湯。広くはないが、比較的新しい。名前の通り、湯は墨のように黒く澄んでいる。創業は大正時代に遡るそうだ。浴槽は二つ。41.5°Cと43°Cだ。壁のタイル画は、帆船日本丸である。波を切る様まで丁寧に描かれている。気持ちが良いが長湯するとのぼせそうである。掃除に入ってきた店主が客に声を掛けている。

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大川に桜の雨の降りしきる

吾妻橋のアサヒビールの22階からの眺めはなかなかなものだ。桜が満開になるのも近いだろう。浅草の思い出をもう少し語りたくなった。ぼくは、30年もの間、墨田区の業平橋に住んでいた。スカイツリーのすぐ近くだ。浅草までは歩いて15分ほど。入り浸っていたと言ってもよい。しかし、酒は飲まなかったので、飲み屋だけは知らない。有名な神谷バーすら行ったことがない。代わりに行ったのが、喫茶店だ。入り浸った最初の店は「misty」と言った。純喫茶ではなく、スナックといた風情。ジュークBOXがあり、ぼくはここでフランソワーズアルディの「もう森へなんか行かない」を知った。当時流行っていたインベーダーゲームにもハマった。