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俳句フォトエッセイ

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春陰や人の歯垢をとる仕事

ガリガリと歯垢をとる音。時計を見ると、治療を始めてから既に1時間経っている。昨年から通っている歯科医院の一室である。好きな人はいないだろうが、ぼくも歯医者が嫌いだ。抜けた歯を20年以上放っておいた。それが、ある事情で歯医者に行かざるを得なくなった。ぼくは、子供の時から歯は丈夫だった。乳歯が頑丈過ぎて、抜けない。仕方なく、歯医者で何本も抜いたこともあった。つい半年前のことだ。一本の歯がグラグラするので歯医者で診てもらったら、なんと乳歯だった。歯の手入れも極めて杜撰だった。歯磨きも朝に一回だけ。しかも、形ばかり。いつの間にか歯磨き粉も使わなくなった。歯の治療が一応終わったところで歯医者に言われた。

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草萌ゆる庭の向かふの廃墟かな

庭を覆っている草の名前を調べたら「アメリカンフウロ」と出た。和名だと「風露草」。雰囲気の良い名前だが、建物を今にも飲み込みそうで不気味でもある。お洒落な住宅が、10年も放って置かれるともう廃墟だ。7、8年前、旅行で白樺湖に行ったことがある。朽ち果てた旅館が何軒も放置されており、目を背けたくなった。観光地の廃墟は興醒めである。以前、俳句の授業で仲間と長崎まで出張したことがある。観光の一環で軍艦島に渡った。軍艦島は、かつて炭鉱の島として栄えた場所だ。しかし炭鉱閉山後に無人島になった。上陸して驚いた。鉄骨は剥き出しになり、コンクリートは崩落している。

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果てしなきおしゃべり春惜しみけり

【銭湯紀行その5】自由が丘みどり湯今日は、自由が丘に近い「みどり湯」だ。東急大井町線の緑ヶ丘からかつて川だった緑道を辿って7、8分であろうか。住宅地のど真ん中にある銭湯だ。もう10年近く前だが、この近くのA病院に通ったことがある。妻の認知症治療の関係である。大学病院の「物忘れ外来」でお世話になった先生が異動されたからだ。科目は内科なのに、20分も30分も時間をとってくれた。通院は妻が施設に入るまで続いた。そんなことを思い出しながら、道を歩く。みどり湯は、新しくモダンな銭湯だった。入口もエントランスも清潔そうだ。浴室の壁にはモダンな富士山が聳えていた。サウナ、水風呂それにジェットバス。

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花疲れ身をほぐしたるジェットバス

【銭湯紀行その3】西大島久の湯大島と言っても伊豆大島ではない。江東区の大島である。亀戸クロックにBe ACTO亀戸主催の桜俳句掲示2026を見に行ったのだ。小学生から中学生が詠んだ俳句が実にきれいにパネルで展示されている。広い亀戸クロックの中を歩き回って、ようやく展示に辿り着いて、少々くたびれた。昨日は桜祭りだったようだ。桜の並木道を辿って西大島に出た。「疲れをとるには風呂が一番」こんな時、スマホは便利だ「近くの銭湯」と話しなければ、すぐその場所を教えてくれる。「第二久の湯」と出た。しかし、実際にあったのは「久の湯」。細かいことはどうでもいい。昔ながらの銭湯だ。

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春の雨ドームの中の星の旅

急に暖かくなってきた。新緑を求めて出かけたいところだ。しかし、あいにくの雨。しかも一日降り続くという。思い出したのはプラネタリウムだ。横浜の駅のすぐそばにあると知った。コニカミノルタプラネタリウム。案内には横浜駅から6分とあったが、雨の中を20分以上歩いてしまった。どうやら逆に歩いてしまったようだ。到着したのは上映の直前だった。係の方が椅子の倒し方を手ほどきしてくれた。観客は20人ほどだろうか。投影機など、どこにもない。LEDの鮮やかな映像が、目の前に360度広がって飛び込んでくる。星空を見に行くというよりは、全天に広がる景色と星空の中に体が吸い込まれるかのようである。

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満を持して天を向きたる花水木

桜の季節が終わりに近づいてきたと思ったら、それを待っていたかのように花水木がすでに小さな蕾をほどき始める。桜の花が下を向いて咲くのに対して、花水木の花は天を向いて咲く。最近はぼくの歩く道にも花水木をよく見かける。春の開花はもちろん、秋の紅葉も美しく、一年を通して目を楽しませてくれる。歩道を壊しにくいおとなしい根、葉が横に広がり、歩道に柔らかい影を作るのも好ましい。加藤楸邨は《一つづつ花の夜明けや花みずき》と詠んでいる。花水木はアメリカ原産でアメリカヤマボウシとも呼ばれる。こんな歴史がある。ワシントン、ポトマックのほとりの見事な桜をご存知だろう。

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春の夜の数珠繰る声や南無阿弥陀仏

きっかけは「オオカミの護符」という一本の映画だった。川崎市宮前区土橋に残るオオカミ信仰の謎を追ったドキュメンタリーである。その中で、すでに住宅地が広がる同区初山の地に今なお「念仏講」が生きていることを知った。昔から続く在家信者の集まりで、地域の信仰と相互扶助の両面を担ってきた。かつては多くの地域で行われてきたが、残っているところは少ない。幸運にもその念仏講の集まりに招かれる日が来た。この日の会場は矢澤英雄さんのお宅だった。家の前には、松の木が見事な枝を伸ばしている。戸口を開けると土間が広がり、まるで民話の舞台にでも迷いこんだようだ。

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意味もなくボール持つ手や春の午後

校庭に脚を踏み入れると、子供たちの甲高い声が響いていた。もう、新学期が始まったのだ。学童保育の子供たちだろう。無邪気な元気さが微笑ましい。駆け回るのが楽しくてたまらないという感じだ。地元の小学校に俳句の授業の打ち合わせで訪れた。桜の木に緑が増え始めたと思ったら、もう花水木がしっかり花をつけている。銀杏が小さな葉を無数につけている。打ち合わせの時間まで、少し余裕があったので、遊んでいる子供たちを眺めていたら、一人の男の子が、ぼくのそばに来て「誰?」と聞いてから、気がついたように「あっ、俳句の先生だ」と言う。去年教えた子がぼくの顔を覚えていたのだろう。「ねぇ、俳句作って!」

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人がみな我よりはやく歩く春

石川啄木の歌集『一握の砂』に《友がみな我より偉く見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ》の一首がある。句はこのパロディでもあるが、実感でもある。朝、我が家から東急の元住吉駅まで、歩く。行き慣れた道だ。しかし、最近気づいたことがある。人が皆ぼくを抜いていくのだ。ぼくとしては、一生懸命に歩いているつもりなのに、平気で追い抜かす。足が短いのか、回転が遅いのかどんなに頑張っても追いつかない。病院の栄養相談に行くと、筋肉量の測定器に乗せられる。結果、足の筋肉量が標準以下だと言われた。駅では、エスカレーターに乗らず歩いて上がるように努めてきた。歩く量は以前より減ったとはいえ、平均9千歩は歩いている。

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夜桜を見ようと君を誘つた日

そんな日もあったが今日は一人だ。光明泉の炭酸泉に浸かった後、目黒川沿いに出る。そろそろ、お花見も終わりに近づいている。身動きができないと言うほどではない。しかし、若いカップルやグループの声があちらこちらから聞こえる。照明が明るいところは、焼きそばやたこ焼き、飲み物などの屋台だ。お洒落なカフェや飲み屋もあるが、ビールを片手に路上に座り込んでいる人たちも多い。橋の上には、「立ち止まらないでください」という貼り紙が何枚も貼られている。ピーク時はそれほどの人で埋まるということだろう。目黒川の夜桜は幻想的ですらある。一人の花見は、どことなくもの足りない。