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俳句フォトエッセイ

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思い切り足を伸ばして春うらら

銭湯にハマっている。出先の近くに風呂屋がないか確かめるのが習慣になった。豪華なスーパー銭湯もいいが、最近は飾らない街の銭湯の温もりに惹かれる。この日は、谷中の朝日湯に寄った。東京メトロ千代田線の千駄木駅から歩いてわずか2分だ。昔ながらの銭湯だが、サウナも完備されている。浴槽にそっと足を入れる。いかにも下町らしい熱めのお湯が肌に痛い。我慢して入るとその熱さが次第に心地良くなるから不思議だ。東京の銭湯は1970年代には2500軒もあったが、現在は400軒ほどに減っている。しかし、最近はサウナブームもあり、銭湯は若者にも人気らしい。

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崎陽軒本店に食む春の味

横浜に出かけた。横浜駅の近くで「認知症の人と家族の会」の会合があったからだ。少人数の会合だが、認知症の専門医で神奈川県代表の杉山先生も出席され、色々アドバイスしてくださる。この日も新しい知見が得られた。妻が発症した当時、ぼくは必死になって認知症関係の会を探した。にも関わらず見つからなかった。偶然見つけたのは2年前だ。その時から時々出かけ助言を求めている。ぼくにとってはとてもありがたい組織だ。帰る途中に「崎陽軒本店」を見つけた。崎陽軒とは、「しゅうまい弁当」のあの崎陽軒だ。「弁当」の印象が強すぎて、「本店」があるとは思いも及ばなかった。好奇心に駆られて、中に入った。

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彼方までそのまた彼方まで花菜

与謝蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」の句はあまりに有名である。この句の菜の花は、もちろん一本ではない。蕪村の句の背景には各地に広大な菜の花畑が広がっていたという事実があった。アブラナと呼ばれるように菜の花は調理油だけでなく、行灯や燈明などの燃料として、夜を照らす油だった。菜の花は江戸時代のかけがえのないエネルギーだったのである。当時は、それこそ果ても見えないほど菜の花が栽培されていたと想像できる。今、それに最も近いのは千葉のマザー牧場だろう。300万本の菜の花が山を覆う。昭和記念公園など都内にも菜の花の名所がある。その一つが都心にある浜離宮だ。

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霾(よな)曇りいつたいどこのどなたかな

ブレーメン通りで会釈をされた。何となくお会いしたような気はするが、いくら思い出そうとしても思い出せない。名前を忘れるのは20年前から始まっている。職員の離任式でのことだ。さっきから普通に呼んでいた名前が、朝礼台の上で突然出なくなる。人の名前ばかりか物の名前も出てこない。ある時は「コンビニ」という名前がどうしても出てこなかった。最近はその度合いが進行しているようだ。毎月1回認知症のグループホームで句会のようなものをしている。毎月お会いするのに、その方々の名前が全く出てこないのだ。ただ、ここでは「最近物忘れが激しくなって名前を忘れちゃったからもう一度教えて」と言っても違和感がないからいい。

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去りゆける武蔵野線の先に春

ちょっとだけ、撮り鉄の真似をしてみた。ここは、三郷駅。乗ってきた武蔵野線が出たところだ。この電車は所沢まで行くと言う。男の子はたいてい電車が好きだが、ぼくも例外ではなかった。小学校の時分には、秋葉原にあった鉄道博物館に何度も連れて行ってもらった。NゲージやHOゲージをねだって買ってもらい、何時間も走らせて遊んだ。中学に上がった時、石川君と仲良くなった。石川君は、ぼくの何倍も電車好きだった。それに行動力があった。模型では満足せず、実際の電車を見に行った。ぼくは行動力のある石川君に魅かれた。ついて出かけた。一番遠くは小田原だった。

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あの日より七年経ちぬ春の宵

2019年3月3日。雨が降っていた。比留間一成さんを偲ぶ会の写真である。話しているのは詩人の菊田守さんだ。比留間一成さんは詩人であるが、色々な顔を持っていた。陶芸家でもあり、本職は中学校の教師で、非行問題の権威でもあった。ぼくが比留間さんを知ったのは20代の頃だ。父の紹介で小平の自宅を訪れた。当時、比留間さんは練馬区教育委員会の指導主事だったと記憶している。関係が深くなったのは、ぼくが管理職になった40代後半以降だ。彼が関わっていた「日本基礎教育学会」の仕事を手伝い始めたからである。この会は都立研究所の幹部経験者で構成されていた。偉い人ばかりで下働きをする人間が不足していた。

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春光を浴びて延々続く列

3月1日。この日はきごさい全国小中学生俳句大会の表彰式の下見とリハーサルで清澄庭園まで出かけた。清澄白河の駅を降りると、同じユニフォームを着た人たちが円陣を組んで、打ち合わせをしている。そんなグループがいくつもある。「なにごとだろう」聞いたら「東京マラソン」だという。ここ、清澄白河の交差点は給水所になるらしい。ボランティアの数が半端ない。表彰式のリハーサルを終えて交差点まで戻って撮ったのがこの写真だ。ぼくは走ることには縁がない。そう思った瞬間、あることを思い出した。オリエンテーリングである。地図上に示された標識を辿るゲームである。経験された方も多いのではないだろうか。

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老梅の枝のくねりて黒光り

梅の名句は数多い。梅が香やどなたが来ても欠茶碗は小林一茶。夏目漱石にもいの字よりはの字むつかし梅の花という愉快な句がある。梅の枝を詠んだ句はないものか。試しにA Iに聞いてみた。すると老梅や月夜となりぬ枝の影が出てきた。作者は原石鼎とある。しかし、A Iは嘘をつく。特に俳句関係はでたらめが多い。そこで、古今の代表句を網羅している「575筆まか勢」のサイトで調べてみた。どこにも見つからない。書斎に『原石鼎全句集』があることを思い出して、本棚の上から引っ張り出した。1990年に沖積舎から出版されている。表紙は棟方志功、帯は小説家の小島信夫。750ページを超す大著である。ぼくも結構執念深い。

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官女ゐて衛士(ゑじ)までもゐて雛飾り

3月3日は雛祭りである。ぼくは雛祭り知らずに育った。娘を授かった時、祖母が木目込の雛飾りを贈ってくれた。人形の顔に見惚れた。つくづくと「家庭っていいな」と思った。写真は京王プラザホテルのロビーの段飾りである。三人官女や衛士(ゑじ)まで揃っている。娘の雛と同じ真多呂作だ。しかし、5段や7段の立派な段飾りを置ける家は東京ではほとんどないだろう。人形問屋の久月に行ってみたら、陳列棚のほとんどが男雛女雛だけの親王雛で占められていた。東京の住宅事情では致し方ないところだ。関東では千葉勝浦のビッグ雛まつりは壮大である。家庭で飾れなくなった雛人形もここに生きている。

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暖かや我に戻りぬハンチング

春一番の吹いた日、ぼくは南野川ふれあいの森にいた。Oさんから教えていただいた場所だ。Googleマップで調べたら地下鉄グリーンラインの東山田から歩く道が紹介された。それから先は3/1付東京新聞の「小山正見のかわさき俳句フォト」に記した通りだ。帰りのルートを調べたら武蔵小杉までのバスがあることがわかった。中原で降りれば、妻のお世話になっているグループホームまで近い。バスはすぐ来た。東急バスである。中原でバスを降りて気がついた。何となく頭が寒い。「あっ、忘れた」その日被っていたハンチング帽をバスに忘れたのだ。スマホで東急バスの忘れ物センターを検索したら、すぐに電話番号がわかった。