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俳句フォトエッセイ

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『青波』の余韻七月終わりけり

封筒が届いた。田中拓也先生からである。中身は歌集。先生の最新の歌集『青波』だった。田中先生とお目にかかったのは、江東区時代である。記憶は定かではないがコロナの前だったと思う。確か、先生は都立城東高校で教鞭を取られていたはずだ。一回学校俳句研究会の集まりにおいでになったことがある。次にお目にかかってのは、立川にある都立立川国際高校附属小学校での授業の際だった。先生は国際高校へ転勤されていた。そして、授業を見に来てくださったのだ。先生の歌集『青波』には、コロナ下を含むこの5年の作品が収録されているが、先生はその間に、お父様、お母様を亡くされ、そのテーマが歌集の中心にあった。

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熱風の中に涼風アウフグース

【銭湯紀行】17川崎朝日湯源泉ゆいる連載のお礼と総集編の打ち合わせに東京新聞の川崎支局に向かった。支局長にお目にかかるのもこれが最後になるかもしれない。支局長は丁寧にぼくを出口まで見送ってくれた。ぼくには一つの仕事を終えた安堵があった。「さて」と考えた。「そうだ、ゆいるに行こう」ゆいるは浜川崎の近くにあるスーパー銭湯だ。結構評判が高い。川崎駅から送迎のバスもあるが、臨港バスに乗ることにした。かつて取材した大島劇場の先、鋼管二丁目で降りて歩く。ゆいるはスーパー銭湯としては意外とコンパクトだった。1階は食堂、2階が風呂。そして3階が休憩スペースになっている。料金は高めだ。

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始まりは川崎市役所燕来る

「燕来る」は春の季語だ。「燕の子」は夏。そして「燕帰る」が秋である。「小山正見のかわさき俳句フォト」は春に始まった。東京新聞川崎支局から依頼が来たのが2024年の3月の初め。連載の開始は4月だった。しょっぱなに何を取り上げるか、今の川崎の発展を象徴するものが何かを考えた。そして辿り着いたのが、市役所の展望台だった。ぼくが子どもの頃、川崎は悪名高い公害の街だった。煤煙で空が煤け、川崎喘息か蔓延していた。それが川崎の発展の誇りでさえあった時代があったのだ。公害反対の運動が幅広く行われ、行政も本腰を入れるようになり、公害は克服された。市役所の展望台こそ、公害克服の象徴的な場所である。

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蓮の花浄土のままに光りをり

「何という美しさか」蓮の花である。一面の緑の中に浮かび上がる薄桃色の花。見つめれば見つめるほど、花そのものが淡く発光しているように見える。蓮は朝の花だ。午前7時から9時頃までが見頃で、午後には花を閉じる。蓮の花といえば、何と言っても不忍池だ。早起きして、眠い目を擦りながら満員電車に揺られて上野に向かった。メトロ銀座線の上野広小路駅を降りれば、ほどなく不忍池だ。目に入ったのは、一面緑に覆われた蓮池。間違いなく日本を代表する蓮の名所の一つである。その中に薄桃色の花が点々と咲いている。見物人も多い。カメラを担いでいる人もいるが、絵を描いている人もいる。キャンバスには、蓮の葉の緑が躍動している。

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いざ花火浅草界隈人の波

規模から言えば、更に大きな花火大会はあるが、花火大会といえば、隅田川に尽きる。ぼくは、結婚した24歳の時から30年間隅田川に近い業平橋の団地に住んでいた。隅田川の花火は2会場で行われる。第2会場は我が家の目の前。第1会場はベランダからちょっと首を伸ばせば見ることができた。実に恵まれた環境である。ところが、人間不思議なもので「いつでも観られる」ということになるとかえって見る気が起きない。「どうせまた来年も見られる」と思うからだ。家にいる時も、食事をしながら時々窓際に花火を覗きに行くぐらいだった。花火大会の日、浅草の人出は百万人だという。身動きができないほどの狂騒だ。

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ああ暑い旅の決め手は温度かな

耐え難いような炎暑だ。梅雨が明けて空気が一気に変わった。熱中症の患者が急増するのもわかる。駅のポスターに長野県/野辺山26.4℃とあった。青森県酸ヶ湯は23.1℃だ。実に明快なキャッチコピーだ。子育ての時期は家族でよく旅行をした。海よりも山が多かった。子どもたちが大きくなってからは妻とよく出かけた。蓼科や車山高原、立山方面にも足を伸ばした。原村のペンションにも繰り返し泊まった。確かに暑かった記憶はない。みどりに囲まれて至福の時を過ごした。あの頃は、涼しさを求めて行った記憶はない。何か目的があり、その副産物としての涼しさがそこにあった。今年なら涼しさだけを求めて行くかもしれない。

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夜の秋泥舟展の佇まひ

酷い暑さだ。これから8月6日頃までが大暑である。誰しも認める一番暑い時期だ。芥川龍之介に《兎の片耳垂るる大暑かな》の句がある。今ほどではないといえ、昔も暑かったのだ。「夜の秋」は夏の季語だ。暑くても夜には少し涼しくなって秋の気配が漂うという意味なのだが、どうやら今年はその兆候はありそうもない。そこに「わびの陶」秋風庵泥舟展の案内が届いた。この泥舟展に行けば、その涼しさを感じられるだろう。冒頭の句はそんな意味である。泥舟(秋風庵泥舟)は、ぼくの心許せる友の一人だ。本名を横澤茂夫という。付き合いはもう30年になる。北区の小学校の先生だったが、請われて京都に立命館の小学校に赴任した。

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梅雨明けて我が家に残る七不思議

土曜日に我が家「感泣亭」で「言葉の部屋」が行われていた。「言葉の部屋」は詩人の服部剛さんの主宰する詩の教室である。いつもは僕も仲間入りするのだが、この日は外せない用事があり、欠席した。始まる時刻に服部さんから連絡があった。「電灯が点かない。冷房もダメ」というのだ。「どうしてだろう」前日の大雨が原因かもしれない。漏電したのかと心配になった。慌ててお世話になっている近所の電気屋さんに連絡した。すぐ飛んできて調べてくれた。漏電ブレーカーが落ちただけのことで、すぐに復旧できた。ぼくは、漏電ブレーカーのあることも、その位置もすっかり忘れていた。我が家にはぼくの知らないことがあると思い知らされた。

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東京のどこもかしこも大暑かな

今年の梅雨は涼しかった。東京で30度以上の真夏日を記録したのは、たったの2日しかない。それが突然暑くなった。こう、急激に気温が変わると体がついていけない。梅雨明けの空も街もギラギラしている。もうすぐ二十四節気でいう「大暑」である。一年中で一番暑い時期だ。今年の大暑は、7月23日から8月6日頃。おそらく今年も耐え難い暑さが続くのだろう。ただ、ぼくには楽しみがある。土用の丑の日だ。「鰻を食べたい」近年鰻は高騰し、とても手が出せない。しかし、この日ばかりは無理してでも鰻を食べることにしている。土用の鰻を定着させたのは平賀源内とされている。

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夏来る憎つくき電信柱かな

今から70年近く前になるが、ぼくは写真の中央に立つ電信柱での出来事を鮮明に覚えている。確か、小学校5年生の夏だった。ぼくは自転車に乗り、この曲がり角に差し掛かった。その時に、向こう側から来たのは5トン積みのダンプカーだった。目の前に電信柱。ぼくは逃げ道を失い、自転車はダンプカーの後輪にあっという間に巻き込まれた。トラック特有の後輪差で巻き込まれたのだ。自転車の潰れる音がした。奇跡的に、ぼくは巻き込まれずに、跳ね飛ばされた。今はマンションの壁になっているそこは、幸いにも柔らかい垣根だった。あちらこちらに擦り傷を作ったが、頭も打たず一命を取り留めた。ぼくは運転手におんぶされて家に戻った。