【初心者歓迎】俳句フォトの会 会員申込はこちら

俳句フォトエッセイ

俳句フォトエッセイ

夏の果てぼくの時代が朽ちていく

よく寝ているはずなのに、体が重いと感じる日が続く。今まで、エスカレーターには乗らず、階段を上ることを旨としていたが、とてもダメだ。階段を上ると、太腿の裏が痛い。息が上がる。これが急に襲ってきた暑さのせいだといいのだが。湯島に出た。ぼくは、いろいろなところに行きつけの喫茶店を持っている。酒を呑まない代わりのコーヒーの店だ。湯島には「フレンチヴォーグ」という店があった。シックで白い壁の落ち着いた店だ。深煎りの珈琲がうまい。トイレが他と共用でわざわざ鍵を借りて入った。店の前まで行って、はじめて無くなっていることに気づいた。ドアだけは昔のままだ。内装は取り払われ、廃墟のように広がっている。

俳句フォトエッセイ

良き人と出逢ひますやう夏詣

晴れが続き、梅雨が明けるものと思っていたが、梅雨明け宣言はなかった。が、雨は降っていないので出かけた。80年近く東京で暮らしているのに、東急世田谷線に乗るのは初めてだ。世田谷線は三軒茶屋と下高井戸を結ぶ路面電車だ。2両連結で、雰囲気は江ノ電に似ている。松陰神社前で降りたが、出口にSuicaのタッチパネルがない。辺りを見回しても見当たらない。しばらくして、都バスと同じように全線同一料金なのだということに気がついた。何だか、旅先にでも来た気分だ。「東京は広い!」松陰神社までの商店街を歩く。最近は、どこでもチェーン店ばかりが目に付くが、ここは違う。地元が残っている。本屋もある。

俳句フォトエッセイ

鶴亀の戯れてゐる夏の夕

【銭湯紀行】その16東大島春の湯歴史のある銭湯なのだろう。見事な欄間彫刻の透かし彫りである。よく見ると鶴亀が戯れている。長寿への願いが込められているのだろう。江東区の某小学校で俳句の教員研修会を行った。学校が建て替え改装中だったので、仮校舎だった。何度も行って知っている場所なのだが、何となく記憶が曖昧だ。いつものことだが、よく調べもしないで行くので間違えたらどうしようと不安があった。無事辿り着くと、新しい校長先生が迎えて下さった。副校長先生もここでは初対面だったが、他区でぼくの授業を受けたことがあり、句集『大花野』も読んでいて下さった。

俳句フォトエッセイ

街守るカメラの上に燕の巣

今年は、燕を見かけないと思っていたら、立て続けにその姿を見た。街なかだ。商店街を低空で飛んでいく。ぼくの方に向かって一直線に飛んできたかと思ったら急に反転して見えなくなった。その鋭い身のこなしに、佐々木小次郎の「燕返し」が頭に浮かんだ。辺りを見回すと、パチンコ屋の軒先の防犯カメラの上に巣があった。親鳥が、すでに自分と同じくらいに成長した雛に餌を与えているところだった。昔から燕は縁起の良い鳥とされてきた。「燕の巣がある家は繁盛する」という言い伝えもあるほどだ。燕を幸運の象徴とするのはヨーロッパでも同じだ。

俳句フォトエッセイ

梅雨明けるそして自由がやつてくる

これは佐伯誠のもじりだ。原文は次のとおりである。最初にあったのは街だ。それからジャズだ。そして自由が歩いてきた。何と洒落たことを言うんだろう。祐天寺のparlourうみねこで7月12日までの行われていた「千の夜と108のマッチ」展。横浜の伝説的なジャズ喫茶ちぐさの貴重なマッチのコレクションが披露された。これらのマッチをモチーフに松本祥孝氏の写真と佐伯誠氏が文章がマッチングさせている。佐伯誠がこの世を去ったのは、昨年の8月11日。考えてみればまだ一年経っていない。詩人で、フランス映画の字幕翻訳の第一人者だった山崎剛太郎の縁で知りあった。妙に馬が合った。

俳句フォトエッセイ

「ココ」が良し「ここ」が最高梅雨明ける

幸区河原町ハッピーロードにあるコミュニティーカフェ「メロディー・ココ」に向かった。月1回の「ココ食堂」が行われるからだ。2年4カ月続けてきた連載「小山正見のかわさき俳句フォト」は、今回で最終回を迎える。第1回は川崎市役所の上からの富士山の写真だった。公害を克服し発展する川崎を捉えたいと考えたのだ。それから40回近く、川崎の良さをさまざまな形で伝えてきた。王禅寺の楓(かえで)や多摩川下流の干潟など、川崎の自然の美しさに感動させられた。サッカーのフロンターレやバスケットのブレイブサンダースの試合にも夢中になった。取材を重ねるうちに気がついたことがある。

俳句フォトエッセイ

とんかつはにいむら歌舞伎町は夏

急に暑くなった。空が夏になっている。新宿に出た。ここにも梅雨が明けたような空気が広がっている。昼飯に何を食べるか?食べたいものがない。紀伊國屋書店の地下が食堂街になっている。昔からここはよく来た。茹でたてスパゲッテイの店がある。隣はうどん屋だ。何となく食べる気にならない。カレー屋も二軒ある。どうもそんな気分ではない。寿司屋や卵かけご飯の店もある。卵かけご飯が二千円以上する。結局、通り抜けて外に出る。アカシアのロールキャベツは先日食べたばかりだ。一瞬、冷やし中華もいいかと思ったが、ぴったりこない。こんな時、最後に残るのがとんかつだ。

俳句フォトエッセイ

風入や我に不用な本ばかり

ある句会で「風入」という季語に出会った。どういう意味か歳時記で調べてみたら「虫干」の傍題とわかった。曝書も同様な意味だ。折角出会っても使わないと忘れてしまうので、ちょっと使ってみたというわけだ。我が家の書斎は、父の書斎だ。父が生きている時は、床から本が積み上がり足の踏み場もないほどだった。どこに何があるのかもわからなかった。その書斎を父の盟友の坂口昌明さんが、わかり易く整理して下さった。雑誌などもよく整理され父の仕事が俯瞰できるようになった。母が亡くなり、ぼくは12年前から父の書斎を自分の書斎のように使っている。引っ越してくる時に自分の本を大整理した。

俳句フォトエッセイ

「謹呈」の宋朝体の涼しさよ

午前中は、病院で検査、そして午後は友人と会う約束をしていた。朝になって、その友人から電話がかかってきた。「急に仕事が入ったから、会うのはまた今度にしてくれないか」楽しみにしていたのに、仕方がない。ポカンと時間が空いた。貧乏性のせいか、予定表に時間が空くと何か用事を入れるのが癖になっている。だからいつも「時間がない」ということになる。そう考えると、空いたこの時間は「何をしていてもよい」、神様からの贈り物のようなものだ。ワクワクして何をしようか考えた。「そうだ」と思いついたのは、髙田正子先生から頂いた句集『紅藍』を読むことだった。1ヶ月以上「読まなくちゃ」と思いながら手を出せなかった本だ。

俳句フォトエッセイ

不純とはいつたい何か梅雨深む

御徒町にある「不純喫茶」については、【銭湯紀行】その15で若干触れた。奇妙奇天烈で何となく「反道徳」的な匂いがする。そして、そこに魅力がある。すぐ思い出すのが「不純異性交友」という言葉だ。大人が未成年に対して性的な交際をすることは、青少年保護条例などで禁じられている。当然の話だ。しかし、「不純異性交友」にはそれとは違ったニュアンスがある。未成年同士の少し危なっかしい交際を「そんなことはしてはいけません」というニュアンスで大人の立場から表現したものだろう。ぼく自身については、その方面には全く奥手だったので縁遠かった。